XIII、ボケ老人のタワ言

  大 野 正 義      INDEXへ戻る      I、四国遍路特集 
           

            II、坂本龍馬特集      IV、西国33カ所徒歩巡礼特集


◎評論家衆に苦言    (令和6、1、9)    

 笠置シズ子の評価が不足・不十分だよ。笠置シズ子を歌手の側面だけを見てはならない。彼女はそれ以上の存在で、日本のジャン・ヌダークだ。
アジ・テーターとして、大きな役割を果たしたのだ。
 「美空ひばり」はエンターテナーで単なる歌手。その歌手の女王だろう。しかし笠置シズ子は戦後、打ち拉しがれた日本人、特に男性を立ち上がらせたアジ・テーターなのだ。「立ち上がれ、男共よ」と、アジッたジャンヌダークで、その先頭に立ち、馬を勢いよく走らせたのだ。かくて、日本は復興への端緒についたのだ。

◎自治体機能不全    (令和6、1、7)

 
元旦の能登地震は、地域の基礎的自治体の機能壊滅をさらけ出した。防災計画に基づく「
災害対策本部総司令部)」がまともに出来上らなかったのだ。被災後4日目位から死亡人員の数字が少し出始めたので、ようやく端緒に着きかかっているらしい。1~3日迄は呆然自失状態だっただろう。他府県自治体の応援職員の姿を見ても、受け入れ地元自治体の職員の姿がちらほらだったと推測している。マスコミが災害対策本部から情報収集しても、カラ振りだったのだろう。この事態は熊本地震の際もそれに近かった。自治体の当事者能力不全・不存在の異常期間が数日続く真空期間が発生した。
 防災計画は戦時中の「
召集令状」機能と、「文官を武官に変身させる」二つの機能が中核概念だ。図書館の司書でも正規職員は被害調査や、避難所の責任者を努めさせられる。し尿・ゴミ収集職員や、下水・道路・薬剤撒布等々のいわゆる現業職員は災害対策本部のもとでは下士官的任務に就く大切な人材となる。
 残念ながら「身を切る改革」と称して片端から業者委託に切り替えてしまうのが大流行したので、不様なことになった様子だ。
維新の党よ、責任をとりなさい。
 俺、現役時代に2度も防災計画を改定した経験がある。災害対策本部長は市長だが事務局長をつとめていた。文句はいっぱいあるがね、特に維新の党には「お前らの仕業だよ」と言いたい。
 定年の前、窓際族時代に「日本版の
洲兵」を府県や市町村に導入する論文を書いていたことがある。陸上自衛隊から人材を引き抜くとか、警察、消防等々の関連整理で意見を聞きたかった兄貴分の長谷川慶太郎氏も数年前に鬼籍入りで、次は俺の順番らしいね。情熱が失せたね。

◎ベクトル正反対     (令和5、11、13)

  ◎分裂理解&分裂対応    (令和5、7、8)    

 
プラグマチズム国家米国では、省庁間で正反対政策ベクトルを指向する特徴がある。各々の省庁では組織目的・存在目的達成の為に、近視眼的に視野の狭い最も有効な組織目的を追求・貫徹しているので、そうならざるを得ない宿命にある。プラグマチズムの欠陥の典型例だ。
 安全保障担当省庁と経済担当の省庁が、正反対の政策ベクトルを指向しても不自然では無い。米国の対中政策ではそれが顕在化する。

 この記事の直近の実例が、中国を孤立化させる「デ・カップリング政策」
へのイエレン財務長官による反対論だ。
 対中「デ・カップリング政策」も、対露「経済制裁」も失敗している現況を真正面に捉えているのが、イエレン女史だ。


ソフトバンクは冥加金を払え    (令和5、6、3)
    
 冥加金は国土の利用料なり。ソフトバンクが税負担を拒否しても、冥加金を支払う義務がある。
 租は固定制だ。収益の多寡とは無関係である。
 財務官僚よ、「冥加金」の賦課理論を構築せよ。
 
(令和3、9、11付「ボケ老人のタワ言」より転載)「租と税は別だ」。

 日本でビジネスする情報技術関連の世界的大企業は全て公租を負担すべし。租税は熟語だ。租と税は別個に概念規定されねばならない。
 GAFAの利益は国民国家に捕捉されないよう巧みに負担回避をし、大問題になっているが、これに対しては公租概念で賦課回避を阻止せねばならない。利益に対する税では無く、現代の冥加金・国民国家を利用させて頂く利用権、としての公租を賦課すべきだ。社会の共同経費の負担という意味では租も税も同じ効果・働きだが、負担根拠は大きく異なる。
 租は田租という。律令制国家では土地は全て公有地で、全ての口分田に賦課され稲で徴収された。朝廷の所有地が人民に貸し与えられ、その地代を納めるという制度だ。私有地から取る税では無い。中国の班田制度をモデルにしている。
 律令国家での地代の現代版が「国土利用料」としての公租だ。GAFAは日本国家の諸々の装置や機能を利用して収益をあげている訳で、タダではすまない、有料制だ。

 大化の改新で採用された制度「班田収授法による公地公民」とは「公有地と人民」という意味だ。満6歳の良民男子に2段(女子以下省略)の口分田・公地が貸し与えられたが、死ねば次の班年に収公(太政官が回収)された。要するに公有地という原則だ。 
 江戸時代の冥加金は権力者支配の恩恵に対し賦課せられたものだが、租とは相同概念である。名称は違っても機能的には同じ。現代の暴力団が徴収するショバ代は闇の冥加金だ。 
 他方、税は私有物に賦課される。極めて資本主義的な概念で商品の生産流通過程で発生する利潤に賦課される。利潤は可変的なものだが、公租は利潤が無くても負担義務を負う。
 他方、公の利用料は利益現象の如何に無関係だ。収益が無くとも支払い義務がある。現代の事業所税の課税論拠でもある。
 律令国家での庸(労役の徴収)の伝統は近代迄続いてきた。徴兵制がそうだ。ビジネス収益への税の賦課とは異なり、徴兵基準を満たす人間に賦課される。つまり、収益への税の徴収以外にも国家から人格に賦課される負担の伝統文化があるのだ。GAFA法人格に対し、公租賦課がなされて何の違和感も無い。歴史・伝統文化に根ざした賦課である。 
 律令国家での調(みつぎ)の伝統文化は、近代でも「軍馬」や「軍用犬」の徴用に残っていたと言える。否、現代でも国家の非常事態では人民の所有物を強制的に供出させる様に法律を制定させる動きがある。   (註)元来、「調」は地方の「特産物」が対象であった。

◎内戦不足の米国   (令和5、9、23)

 
歴史の欠損、系統発生の不足・欠如を、内戦・内乱の不足と言い換えよう。内戦不足の国は治安が悪く、社会が不安定で混乱が激しい。他方、内乱・内戦経験を多く持つ国の治安は良く、社会が安定しており、混乱が少ない。
 日本史のケースでは内戦・内乱だらけの歴史である。その過程で国家・民族の均質化、統一化が進み、アイデンティティが形成された。
 縄文文化から弥生文化への移行、天孫降臨神話、神武の東征、地方豪族が大和朝廷に服属する物語、大化の改新、皇位継承をめぐる皇族間の殺し合い、蝦夷や熊襲の征服、源平の抗争、南北朝の対立、応仁の乱、戦国時代、戊辰戦争・明治維新等々。このような内乱・内戦を通じて日本のアイデンティティは仕上がっていった。

 しかし、宗教難民が建国した米国は、新世界で新たなエルサレムを目指して以来、系統発生過程をすっ飛ばして、歴史を省略・欠損したまま幼形成熟した感がある。つまり、南北戦争だけでは内乱・内戦が不足しているのだ。
 かくて今の米国では大急ぎで内乱蓄積を重ねるべく、あせっているが如き状況下にある。近い将来、「自由主義と民主主義の分裂」による内戦の危機を予告する論拠はそのような歴史観が根底にある。

◎ウクライナ紛争とは    (令和5、8、23)

 ソ連からの分離・独立の初期トラブルの解消過程でもある。ミンスク合意の破約過程になっている。
歴史の長い独立・主権国家への侵略、という様な典型的侵略の事例と同一視してはならない。


◎リストラ後の風景    (令和6、7、11)

 タコが自分の足を喰らう行為に等しい無思慮な愚行がリストラという
人間いじめであったが、企業の収支改善では即効性があり、人件費カットが大流行した。その結果、日本は各側面で世界より遙か後方に置き去りにされてしまった。人間いじめ流行環境は長期化し、その結果、人口減少の急坂に転落してビックリ仰天の現状だ。この局面に悪乗りし先導したのが維新の党だ。
 時、既に遅し。デッド・ゾーンの急坂に転げ込んでから、「バカの後知恵」が続出しているのが滑稽ではないか。
諦めの時代を迎えましたね。♪諦めましょう♪♪諦めましょう♪♪昔の流行歌の歌詞にありましたよ。

◎潰れ百姓続出      (令和6、4、27)

 人口減少時代の到来は、江戸時代での表現を借りれば「
潰れ百姓が続出」社会のことだ。百姓達の逃散行為は、支配基盤を溶解させた。支配者・権力者達は拠って立つ支配基盤が溶解して無くなったので、沈没するのみだ。
 
日本沈没路線にまっしぐらに突き進んだ低脳・無能経営者の近視眼的選択が今の事態を招いたのだ。今日に至って「労働分配率」を少し上げても、屁のつっぱりにもならんよ。
 
 もうダメです。今頃反省しても「遅かりし由良之助」です。もう既に取り返しのつかないライン、デッド・ラインを超えてしまって久しいのです。
 諦めましょう、「ガラガラ、ドッスーン」と音を立てて
奈落の底へ、灼熱地獄の池に転がり込んで、罰せられましょう。

 日本企業の海外進出とは、ひたすら低賃金の追求過程でもあった。生産性向上にもならず、技術革新にもならず、日本沈没まっしぐらの路線選択でもあった。人口減少は当たり「前田のクラッカー」、夢も希望も無い。今になってこの路線からの転換が可能だと信じている愚か者達よ、目噛んで死ね。
 官製賃上げの効果はゼロに等しいよ。「労働者を消耗品視し、摺り潰しても労働者は無限大に供給される」という大前提のもとに、人間を軽視した経営者達よ、今からの修正は不可能だよ。官僚コトバの「異次元の」というコトバ遊びに熱中した者共よ「恥を知れ」。 

◎人治の利点   (令和6、4、10)

 中国の地方制度は日本の制度とは大違いである。中央は地方のトップを発令するが、そのトップは地方の行政の全てを任されており、自由度、選択の幅が大きい。もし、その人物がヘマをすればその責任は全てその地方トップの責任となり、クビだ。中央には責任が及ばない。法治主義で制度が硬直しておれば、中央の責任が問われるが、「自由におやりなさい」とまかされているので、中央に責任が及ばない。中央のトップは地方のトップに罵詈雑言を浴びせクビにするのみである。
 地方政府の失敗が中央政府へ直には影響しない仕組みである。日本における法治主義システムで中国の地方制度を評価してはならない。

◎日本の貧乏神  (令和3、9、24)

 自衛隊の将官達は日本の貧乏神だ。コトバが貧困で「敵に攻撃されたらどうする」と言う論理一本槍の
単細胞だ。「現状では敵に負ける」という論理一本槍である。つまり、社会保障費を削ってでも「軍事費の増額を」という予算要求である。バランス失調の典型だ。知性のカケラも無い。
 貧乏家計でも子供の食事代を削れという予算要求態度は貧乏神の典型だ。貧困に苦しむ庶民に関する報道が頻発してるのを承知していても、カエルの面にションベンだ。将官達よ、お前ら何を護っているつもりだ。
 今や、自治体の最前線では庶民の悲鳴にあふれている。乏しい金で「食料を買うか、衣服を買うか」二者択一を迫られても、貧乏神は「衣服を買え」という立場に固執する。此奴ら自衛隊幹部は人間失格だ。

◎育ちが悪い米国    (令和5、9、23)

 米国の育ちの悪さの原因は、系統発生過程で獲得するべき濃厚な歴史の蓄積情報が、国家の深層部位に欠如している為で米国の宿命でもある。つまり死ぬ迄ば治らんのだ。人間で言えば「ある種の精神障害症状」とも言える。
 戦後の日本では「片親家庭の子は不採用」の不文律があった。中卒就職組の俺達の世代だ。つまり、片親では育ちが悪いと見なされたのだ。歴史の不足という米国の育ちの悪さは、これと同じ文法構造だ。

 今も少年が悪質な犯罪を犯した事例では、その少年の生い立ちを捜査機関やマスコミは掘り下げて追求する。これは、個人という個体発生過程への点検事例だが、国家の系統発生過程への点検事例・症例研究でもそっくり当てはまる。
 今後共、米国は同じヘマを繰り返すだろうが、それは歴史の欠如、育ちの悪い米国という存在の最大特徴だ。その結果、米国は行儀の悪いド厚かましい弱肉強食文化の下司・下賤の国家像になる訳だ。今後の世界史では、国家の生き残りは、道徳性の高さがキメ手だ。

(註)人間の個体発生では母の胎内で、進化の全史の情報を受け取って誕生する。系統発生の全情報を大急ぎで受け取って人間の赤ん坊としてこの世に産まれ出る。と言い換えても良い。
 米国という国家の個体発生では進化情報・系統発生の濃縮情報蓄積が欠損。

◎中立の凄味   (令和5、8、25)

 中露を敵にまわす欧米諸国に味方しない中立国が、アフリカ・アジアに多く出て来たことの凄さを、適格に評価出来ない日本外務省はウスノロ・月給泥棒の巣窟だ。外交官の必須条件は喧嘩のセンスだ。
 中立とは、米国と中露の両勢力に距離を保ち、自主判断自主外交を選択することを言う。
 日本史では中立が許されなかった。なので、巨大な二大勢力が天下分け目の決戦をする局面では、弱小国はどちらに味方して良いのやら、選択に迷い困り切ったものです。つまり、中立の選択肢が無かったのです。もし弱小国が中立を選択すれば、勝ち残った巨大勢力に踏みつぶされるからです。
 北越戦争で、越後・長岡藩の若いバカ家老河合継之助が重武装での中立を選択し、大失敗したのが最新の事例です。昔の関ヶ原の合戦でもそうでしたね。日本史では、中立の選択肢は有りませんでした。

 今、米国に味方しない諸国が続出するのは新時代現象です。選択肢に無かったはずの中立という選択肢が出現する時代を迎えたのです。落ち目の米国が孤立し少数派に転落しつつあるのが、明瞭に可視可されつつあるのです。
 現代史は大きく回転をし始めました。米国追従日本の外務省は、バカの後智恵で中立化を阻止する外交に精出す時代遅れバカの典型例です。

◎首都移転の深層    (令和5、9、24)

 植民地からの完全脱却は長い年月を要する。旧植民地から政治的に独立しても、完全独立に向けての軋轢は長年に亘り継続し、旧・宗主国を悩ませる。インドネシア外相の発言には昔のバンドン会議の引用がある。彼の熱い情熱とメッセージは俺にも届いて来るぞいな。

 ミャンマーやインドネシアでの首都移転とは、以前の植民地支配時代からの脱却の総仕上げでもある。植民地支配からの完全脱却はアジアでは随分以前から進んでいるが、後輩のアフリカ諸国でもようやく揺れ始めた。やがて先輩国を追い始めるだろう。

 英・仏・蘭の植民地経営は沿岸・港湾を重視し、反乱が起きても鎮圧し易い様に本国から海軍力を派遣し易い様に設計されてきた。農産物・原材料の栽培や鉱物資源採掘は内陸部でも、沿岸部から鉄軌道を敷設し運搬した。

 先進国の軍艦にとっては、沿岸と港が必須でである。やがて空母・航空機の時代になっても沿岸と港が必須の時代が続いた。しかし、今やロケットが主役の時代になった。北の赤い王様はたとえ空爆で先制攻撃されても、長距離弾道弾で報復する構えを示して、先進国を牽制する新時代を明示した。制空権無視主義とも言える。

 中国の「一帯一路」も内陸主義時代到来の戦略を示したが、旧ビルマでの首都移転こそが、その嚆矢であった。
 アフリカよ続け、フランスを追い出せ。
 世界はシーパワーの時代からランドパワー時代に移りつつある。


◎自由主義と民主主義が分裂 (令和4、2、22)

 米国の二分裂にかかる論調が出始めた。大雑把に言えば、アメリカ合衆国の二分裂は「自由主義民主主義との分裂」だ。前者が白人主義、保守派で共和党的、南部的で、後者がリベラル派で民主党的、北部的と大別出来る。次の大統領選挙の混乱が見ものだ。
 民主主義は、不自由主義でもある。自己抑制、異質の許容・多数決・平等主義・建前論(本音の抑制)・妥協等々を強要され、憂鬱でストレスが多く不自由極まりない。他方の自由主義では、その不自由さから解放され、精神衛生が良くなる。なので民主主義に疲れてウンザリした人々は、自由主義にあこがれる。
 
 英国のEU脱退も、イギリスの伝統的(植民地支配)思想とEU の民主主義思想との衝突現象である。それがブレグジットの深層にある。ブレグジットは合衆国分裂の先行現象でもある。
 欧米先進国では自由主義と民主主義の幸せな結婚生活は長く続いたが、熟年期を迎え、終に熟年離婚を選択する次第となった。
 
 先進国・英米は分裂の局面を迎えたが、中国のような中進国は未だその時代に至っていない。尚、民主主義の産物、TPPへ参加を拒否する米国では自由主義の引力が強いのだ。TPP不参加はブレグジットと共通点がある。

◎人工鰓の潜水艦を    (令和5、5、13)

「新・戦略兵器としての特種潜水艦」と言う用語が飛び交っている。つまり、核兵器搭載の非原子力潜水艦の事だ。
 海中から酸素を抽出する人工鰓の技術開発はそれ程困難とも思えないのだがね。戦略・特種潜水艦(核攻撃用)

 潜水艦に原子炉を積み込む発想は、いかにもアメリカらしいプラグマチックな発想の産物だが、その異形感はグロテスクだ。無理と無茶苦茶をゴリ押しして実現させた産物だが、無茶苦茶に金がかかっている。この真似をした旧ソ連は財政破綻を促進した。中国よ、こんな愚かな選択をする勿れ。

 潜水航続時間が多少短くても構わない。今や核兵器使用の実行形態は潜水艦からの発射に重点が置かれている時代だが、発想を転換しよう。人口衛星の探知回避で地下から発射する選択肢も残るが、オーストラリアのように、莫大な財政負担を伴う原子力潜水艦を建造する愚行の後追いをする勿れ。量子コンピューター実用化の時代だよ。人工鰓・潜水艦を技術開発せよ。取り敢えず、潜水艦を二隻に分けて酸素ボンベ・潜水艦と核兵器搭載潜水艦を分離しても良い。酸素ボンベ・潜水艦を無人艦とし、有綱引率しても良い。

 原潜保有でオーストラリアの隻には、いきなりの大きな数字だから驚いている。大げさには
天文学的な金額ではないか。中国を睨んでの配備とは言えども、米国が大幅に金を出すのだろう。米国は焦っているね。

◎覇権とは秩序なり  (令和3、9、24)

 米国一極と言われた一時期もあったが、米国の覇権は未完成に終わった。習近平がオバマにすり寄った時期が覇権成立の唯一の機会だったが、オバマは覇権の意味を理解していなかった。オバマ以外の米国政治家でも覇権の意味や成立条件を理解している政治家は皆無だった。
 天下をとる、或いは覇権とは、最強の頂上位置にある者でも、単独では成立させられない性質のものである。覇権とは「権力秩序」である。第二強者が第一強者を認証して初めて成立する。要するに第二強者を臣従させてこそ成立するものだ。第三強者以下はそれを見て各々の居場所を心得て、その位置で平伏し臣従するものだ。かくて全体が秩序化する。島津が徳川に臣従した事例が典型例である。
 その為、第一強者が第二強者を説得するのが常道だが、逆に第二強者・習近平の方から第一強者・オバマに打診したものの、オバマはその意味を理解出来なかった。朝貢を受ける立場の中国文化ではその意味を理解出来たが、米国・プラグマチズムの単細胞では理解不可能であった。
 覇権の成立過程では、第一段階は「軍事過程」だが、第二段階は「政治過程」に入る。・プラグマチストは軍事過程だけが覇権成立環境と誤認している。米国の欠点は系統発生を欠いているところにある。歴史欠如の未熟国だ。敵を武力制圧することしか考えていない単細胞のチンピラだ。
(註)
 日本史の「戦国時代」という名称には誤解を招いている面がある。特に信長・秀吉・家康の時代は「外交の時代」でもあった。三人はいずれも外交の達人であった。日本外務省は日本史を勉強せなあかんで。

 関東の徳川軍が九州の南端で島津に祖国防衛戦争をやらかしたら、徳川の必敗になる。伸びきった戦線のドテッ腹を毛利など西国大名に襲撃されるのは確実。
 

◎核拡散に無言の日本     (令和5、3、13)

 以前、オーストラリアの原潜保有による核武装にニュージーランドは抗議済だが、日本外務省は今だに沈黙したままだ。米国から更に五隻を購入すると言う。米国外交が二重基準だから、それを見習い、赤い王様を非難しても、豪州を非難していない。
 豪州のアルバニージ首相が、原潜には核兵器を搭載しないと言う。これ、詭弁の最たるもの
(令和5、6、3)

◎借金を踏み倒せ    (令和4、10、13)

 ガーナ政府よ、中国がインフラ整備に際し、天然資源を返済の原資・担保にしていると言うではないか。ガーナ産のボーキサイトの将来収入を中国は確保したつもりらしい。(R4年10月14日付、日経29面)
 これ、日本の近世大名の借金政策と全く同じなので、俺、笑いが止まらんかったわいな。ガーナ政府よ、この借金は全て踏み倒せるよ。薩摩藩等の前例を見習いましょう。狡猾な中国人に一泡吹かせましょう。「借金不払い宣告」あるのみ。欧米先進国とても、艦砲射撃で返済脅迫を強要は出来ません。せいぜい経済制裁あるのみです。しかし、中国が実行可能な経済制裁は微弱なものです。「借金不払い宣告」の絶好のチャンスですよ。
 セイロン政府よタイミングを見て「借金不払い宣告」をして中国を追い出してしまえ。日本の近世史から借金踏み倒前例を学ぼう。

◎ビルマの
山窩     (令和4、9、14)

1、ミャンマー軍事政権への批判は、欧米では通用しても、モンスーン・アジア諸国ではほとんど効き目が無い。
2、欧米の尺度、欧米産の強権国家批判のイデオロギー・薬は、東南ジアでは効き目がほとんど無い。
3、ロヒンギャはアウト・ローである。法律の適用を拒否し、国家権力の外で自由に漂流移動する「国家権力拒否者」である。
4、行政権が及ばないロヒンギャの存在について、ミャンマー政権の行政責任を問うのは的を射ていない。お門違いでナンセンス。

(参考)
 日本でも昔は「
サンカ」(山窩)という漂流民が居た。過酷な課税を逃れて逃亡し山から山を漂泊して、竹や木の工作物を販売して暮らしをたてていた。サンカは特定の民族・種族という様な意味では全く無い。
 三角寛の小説に登場していたので知られているが、本格的な研究書では、桃山大学教授・沖浦先生の著書がある。
 
モンスーンアジアの権力   (令和3、10、1)

 印度から東方向のモンスーン・アジアでは広域に及ぶ統一王朝が成立出来ない。各々の地域でメシが食えるのだ。「ほっといてくれ、俺達はここでメシが喰えてるから」という次第。農耕民族は狭い土地でもそこに執着があり、視線が内向きである。

 しかしアラビア半島から東方向にかけての「乾燥アジア」ではメシが喰えない。なので騎馬山賊の強奪文化の歴史を持つ。三蔵法師も旅に苦労した。この「乾燥アジア」は帯状のモンスーン・アジアの上部に被さって、これまた帯状に東方向に伸び、中国の奥地に至っている。ここでは広域に及ぶ統一王朝も出現した(ジンギスカン)。乾燥地域は征服と略奪など、権力が広域圏に及ぶ特徴がある。視線が遠方を向いている。

 他方、アセアン地域(モンスーン・アジア)の中立志向は、「俺達はここでメシが喰えてるんだから、外からごじゃごじゃ言うなよ」という論理構造で理解せよ。日・米も露・中も外部である。視線は内向きで遠方に向かわない。
  
 QUAD構想には、モンスーン・アジア圏域のアセアン諸国の地理・風土・歴史に対する
無理解がある。なのでアセアン諸国はQUAD構想に冷淡なのだ。ASEAN諸国は1971年に「中立地帯宣言」をしている。このアセアンの基礎理論は冷戦時代の産物と言う理解をしてはならない。もっと根深い所に根拠をおいている。モンスーン・アジアの中立志向をもっと深く理解せよ。
 外交課題の設定で見当外れをする日本の外交官は、唯の月給泥棒。

 
◎乾燥地域の占領   (令和3、10、1)

 昔の教科書では、乾燥・ステップ地帯の北ルートは「ステップ・ロード」。モンスーン・アジアを行く中央ルートが「シルク・ロ-ド」、南の沿岸海のルートが「マリン・ロード」だった。しかし、今のマスコミはマリン・ロードとは表現せずに「海のシルク・ロード」と変な表現でシルク・ロードを歪曲している。
 ステップ・ロードは山岳・山賊・騎馬民族の活躍舞台だ、東奔西走で視線が遠方に向き、他圏域に関心が向く。モンスーンアジアの農耕民族は土地に縛られているので、視線は遠方に向かない。QUADにも利益を感じない、「余計なお世話だ」。

 乾燥地域の宗教・イスラムには地域の個性が反映している。乾燥地域では騎乗し弓或いは長い槍を操って強奪に向かうので、男性が尊重され女性の地位が低い。男もなよなよした弱い男はダメ。ひげを生やし精悍で如何にも山賊らしい容貌が求められる。 農耕民族は土地に縛られているので征服し易いが、騎馬戦闘員は逃げ足が早く、捕捉殲滅し難い。ソ連軍もアメリカ軍もその伝統文化に手こずり敗北させられた。

 米軍の致命的欠点はプラグマチズム哲学にある。日本での占領成功体験は
農耕民族文化を相手にしたものだった。多数の歩兵勢力での領域占領という手法が通用した。
 しかし、
騎馬山賊文化の乾燥地帯では、歩兵軍団によるによる領域占領は全く有効性に欠ける。逃げ足の速い山賊達は、同時に出現率も極めて早い。まるでその土地から涌き出てきたかのように忽然と現れる。アフガン・カーブルでの事態がそうであった。
 アフガンでは見えない山賊の代わりに、見える婦女子を殺しまくるのが米国占領軍・歩兵の任務であった。

 乾燥地帯・山賊文化のルートは「
一帯一路」ルートに重なる。新疆ウイグル→カザフスタン→トルクメニスタン→アゼルバイジャン→のルートだ。は「一帯一路」のルートでもある。トルコ系の新疆ウイグルは、東トルクメニスタンを公称希望だというではないか。これからの時代は内陸の時代かも知れない。国土の狭い日本でも内航海運の地位が低下し、高速自動車動道利用の陸運が発達した。次の時代では海洋利用の運輸は地位を低下させるであろう。
 海洋を利用し、遠方の圏域を支配した手法は沿岸を占拠・拠点にして、奥地に鉄軌道を敷設したが、この植民地支配の手法は時代遅れになりつつある。海軍力や空母の役割も低下するだろう。今は即効性が無くても、「一帯一路」ルートへの着眼には先見性がある。
 (註)
 米国の情報機関はウスノロの人材しかいないらしい。グアンタナモ収容所で野蛮国並みの拷問文化維持を恥じていない。その点では「ならず者国家」の資格が充分にある。このウスノロ達は逃げ足の早い山賊文化に無理解だ。アフガンでの
敗戦責任は情報機関にある。

[蛇足]
 山賊相互の戦闘では最初は「騎馬・弓矢」を武器にしていたが、やがて「騎馬・長槍」の方が優位になった。
 さて、鎌倉時代の元寇の役では元軍(主として朝鮮半島人)は弓矢で日本の軍勢に攻撃を仕掛けたが、鎌倉武士達は日本刀を武器に突撃した。その結果、弓矢を武器の元軍は壊滅状態に陥入った。「騎馬・日本刀」の勝利であった。山賊は接近戦の日本刀に弱い。

[日本の山賊]
 日本の山賊は街道筋が山中に入って行く手前の山裾聚落の農民の
副業でもあった。山中に入っていく旅人の品定めをし、間道から先回りし、待ち伏せて金品を強奪する手法だ。伊勢本街道や中国街道に痕跡が残る。山賊は山中の洞窟でたむろし、酒盛りをしていたわけでは無い。伊勢本街道と中国街道(追いはぎ峠)にその痕跡が残る。

◎台湾の独立を  (令和3、3、19)

 その昔、西側を驚愕させた西独ブラントの決断「東方政策」のような柔軟な戦略は習近平の頭では理解不可能らしいが、彼は革命家失格だ。西独
ブラントの決断はソ連崩壊の引き金になったぞ。
 中国の理想的な対外政策とは、まず、米軍をアジアから遠ざける事に主眼を置くべきなのに、真逆に
米軍を誘引している。中国の台湾政策は「熟柿が落ちるのを待つ」戦略が正しい。とは言え、東独と同様にそれ程時間はかからないよ(その理由はあるぞ)。習近平よ、革命家ならば今からでも遅くないよ、台湾国の独立・国連加盟を主導せよ。バイデンと共にノーベル平和賞を狙え。

 ソ連崩壊の起点、最初のきっかけは西独ブラント首相の
東独承認決断にあった、というのが俺の見解だ。
 尚、中国による台湾独立承認は米国の凋落を促進する。
  習近平よ、革命直後のレーニンのブレスト講和を見習え。現代は流動的な革命的変化の真っ最中だよ。習近平よ革命家に戻れ。


◎サウジ対米非協力の凄さ   (令和4、7、10)

 ウクライナ紛争の当初、バイデンがサウジのムハンマドに電話をかけて説得しようとしたが、皇太子は電話に出るのを拒否し、無視したと言う。今の米国に対する適格な評価ではないか、凄いぞ。それでもバイデンは油乞い外交に出かけたよ。
 砂漠のベドウインで敵勢力の実力を判別していた連中の嗅覚は鋭いね。ムハンマドはサウジの国益を第一位に考える立場だ。オペックの支配力強化が重要だ。なので、米国の地位低下・影響力低下はサウジの国益にプラスだ。
 欧米は経済制裁を実行するだけの実力も無いのに、無理押しして破綻しつつある。
 岸田総理も悲鳴を上げた。「プーチンが悪い」という頓珍漢な悲鳴だ。己の判断の悪さを棚上げしては、一国の総理が務まらんよ。外務省の近視眼・ウスノロの助言に忠実に従って、サハリン2を喪うのは自業自得だ。ムハンマド皇太子の爪の垢を頂戴し、煎じて飲むのを勧めてあげます。
 日本文化には「リップ・サービス」もあるよ。また、「アー・ウー(大平総理)」、「言語明瞭、意味不明瞭」の伝統を残した先輩総理も居られるよ。岸田よ、お前は若造だね。

 
◎スパイ合戦に敗北   (令和4、5、24)

 欧米からの援助兵器・ミサイル「地対空」。露軍の激しい空爆への対抗手段の兵器だ。
 この兵器の操作訓練を受け、前線に出れば大手柄を立てるはずの非正規軍兵士達の宿舎が、露軍のミサイル攻撃で兵士87名戦死。
 原因は単純、情報が事前に漏れていたのだ。止むを得ないね。兄弟喧嘩の戦争だから、双方共に情報がジャジャ漏れなんだ。空爆の一点集中攻撃は狙いが極めて正確であった。うーん、非軍人・ド素人ゼレンスキー指導力の限界ですね。
 5月17日、北部チエルニヒウ州デスナでの被害にゼレンスキーはがっくり。普通なら1発のところを、念押しして4発もブチ込まれたのは、露軍が事前に正確に情報を把握していた証拠だ。スイスのダポスに映像参加したゼレンスキーが落胆しています。
 隔靴掻痒、戦争に直接参加しない代理戦争の場合は、こんな事も起こりますね。

令和4年7月19日・・・・・ウクライナの官僚群がロシアに重要情報を漏らしたので、トップをクビにしたと言う。→俺の想定通りの記事だ。
令和4年7月23日・・・・・毎日14版4面の見出し「高官の内通者深刻」も、俺の悪口雑言を裏付けている。

 
◎キューバ危機と同じ   (令和4、5、9

 ケネディの危機感と俺の危機感は同じだ(プーチン)。
 外国ながらキューバは米国の
目の前だ。そこにソ連のミサイルは米国の安全への大脅威だ(ケネデイ)。

◎ハンガリーの欲求不満   (令和4、5、3)

 ソ連陣営から敵陣のNATO側に寝返ってやったのだから有難く思え。EUはもっと金を寄越せ。EUルールなど糞喰らえ(オルバーン首相)。

◎対印度外交批判   (令和4、5、5)

1・自衛隊の航空機が印度経由でウクライナ支援補給を拒否した原因は、印度が会議体とはいいながらQUADに参加していたからである。もし、印度がQUADに参加してい無ければ、むしろ許可していたであろう。今の国際環境で印度経由を認めると、バランスが西欧側に過剰に傾く。
2・印度の中立バランス外交は、印度のアイデンティテイーなのだ。このアイデンティテイーに
揺さぶりをかけるとは無礼で非常識だ。
3・日本外務省は
外交センスに欠けている。他者の文化に礼を欠いても平気の平左で涼しい顔だ。つまり相手を見下している。
  (吉本の芸人が歌舞伎の人間国宝に説教を垂れている姿だ。滑稽で、恥を晒け出す無神経な下司・外務省だ)
4・印度亜大陸と呼ばれる広大な圏域と人口を有する印度のアイデンティテイーは、巨大な岩盤で簡単には動かせないよ。
5・日本外務省の軽薄単純な外交音痴
は、米国流プラグマチズムの影響だが、この呪縛からの脱出は不可能に近い。
6・
外交課題の設定を間違えているので、日本外務省は外交官落第生の集合体にしか見えないよ。
7・ストレートな・対中包囲網という発想の米国的
プラグマチズムに拘る愚劣さは、頭の悪さを誇示して滑稽だよ。
8・岸田総理の東南アジア歴訪は「日本は米国の
飼い犬です」という宣伝旅行で、国益に反し、余りにも軽薄短慮。


◎大麻・課税物質へ  (令和3、2、17)
 
 最期の課税物質「大麻」を解禁したらJT株は爆上げだろうね。 ストレス時代の現代、大麻入りタバコ、大麻解禁は時宜に叶うね。コカイン中毒者を税金で刑務所で養うコストが激減し財務省が喜ぶよ。取り締まりの警察も経費削減になるよ。麻薬密輸も激減するだろうね。米国の連邦下院でも大麻解禁を議決したよ。米国での禁酒法時代にはマフィアがはびこりましたね、大麻タバコの解禁は暴力団の息の根を止める効果があります。コカインが売れなくなるでしょう。

 わが厚労省も、先月13日「第一回、大麻等の薬物対策のあり方検討会」を開催、報道関係者のみの傍聴を許した。このような検討会、前例に無い会合で、正直ビックリ仰天したね。

 今、地方自治体の財政難はひどい有様です。「癌になるぞ」と脅され続けた煙草でだが、石清水八幡宮でゴミを回収している丸岡組の掃除の女性によれば「煙草の吸い殻がゴミのナンバーワン」だという。八幡市の歳入ではタバコ税が約9億円、法人の市民税が7億円。近隣で一番タバコを吸わない都市・枚方市の令和3年度予算では、たばこ税が19億8千3百万円余、法人市民税が21億4千3百万円余(小松製作所、等々)数字が接近してますね。人口約13万人の門真市でもタバコ税は15億程度だが松下電器の城下町と称される門真市の法人市民税より少し許り少ない程度だ。後輩の職員は「たばこ税様々で絶対に不可欠」と、のたまう。

 癌・ガン・ガンと脅かされ続けても、タバコの売り上げは、俺の定時制高校時代の成績と同じで「低空飛行」だが決して墜落しそうにない。地方自治体にとって貴重な財源である。タバコ税様々だ。  このJTが大麻入りのタバコ新製品を発売してくれたら、自治体が大喜びし、市民サービスが格段に向上するでしょう。自治体財政の改善は全国民の福祉向上に直結する。お約束致します。

 今、大企業は利益は全て自分の懐・内部留保に抱え込み、不利益(パート社員のクビ等)は全て外部に放り出して素知らぬ顔です。その不利益の行き先は地方自治体です。まず、国保・保険料の滞納からはじまり、水道代滞納、やがては生活保護等々、悲鳴を上げ困り切っています。末端の自治体はまるで野戦病院の如しです。更に、真逆の政策「身を切る改革」が旗印の維新の会が、タコ足喰い改革に励み、自治体は機能不全しつつあります。この自治体を救う妙手が「大麻タバコの解禁」です。 

 しかもタバコ税の納税義務者はJT ほぼ独り(輸入業者もいるが)だ。また、明治維新直後の課税物質・酒の課税方式「
造石税」と同じ方式の徴税で、製造したら即その量に課税される。売れてからの課税ではないのだ。大麻等の・・・検討会は5月14日で第6回目だ。この急行振りは意味深だね。既に医療用大麻は解禁の方向だ。
 昭和の初期までは課税物質・酒の税金が国家財政の中で
コアだった。日清・日露の戦費も課税物質で賄なった。

◎チリの左派は本物  (令和4、2、12)

 南米チリの大統領、ガブリエル・ボリッジ36歳は高く評価出来る。理由はチリの左派の伝統の底力から産まれた大統領だからである。個体発生過程だけを見ては判断を誤る。系統発生の厚味と深さが産み出したからである。
 チリは昔から優れた労働運動の歴史を持っている。アナコンダ社、ヘルプスドッヂ社等の
銅山労働者の労働運動が盛んな所であった。

◎日本国土の戦場化が不可避   (R5、2、4)
 
 米中戦争は
非対称戦争です。米国本土攻撃は非効率で攻撃効果が小さい。なので戦場になるのは中国本土と日本国土だ。米国の同盟国日本は中国からの報復攻撃受け入れ国でこれが日米安保の正体だ。日本国民多数派が日米安保同盟選択だから不可避だ。

 中国が台湾の独立国家承認をすれば、人民解放軍の潜水艦(核兵器搭載)が太平洋に出られない不利が生ずる。「米国本土に報復の核攻撃が出来無くなる」と言う意見もあるが、米国本土攻撃などを想定する対等戦略は
非効率的だ。また、大陸間弾道弾の一発発射の値段も高すぎる。
 
 中国側の視点で考えれば日本の「
霞が関攻撃」「警視庁攻撃「放送局攻撃」が現実的だ。自衛隊の基地も地下に潜りつつあるという。 そんな固い防禦の場所を攻撃するのはバカげている、無駄攻撃だ。俺が習近平の立場なら、東京都庁や大阪府庁をも攻撃するよ。米国は涼しいで「黄色い猿・ジャップの被害など、日米安保条約での当然の受忍義務だよ(米国)」という次第。原発攻撃は、もっと下位だ。
 でもね、ご安心あれ、米軍の中国本土攻撃という
先行現象が無い限り、日本は中国から攻撃されません。

 俺が習近平の立場なら、速やかに台湾の独立国家を認めるね。そうなれば日米の外交官は途方に暮れるでしょう。
 やがて、沖縄の独立運動も連動して活発化するでしょう。やがて、やがて、尖閣諸島は沖縄と台湾とでの領土紛争になるでしょう。

尖閣有事あり   (R5、2、4)
         
台湾有事無し

 中国は台湾への武力侵攻を否定していないが、台湾への武力解放は百%起こり得ない。理由は簡単、「飛んで火に入る夏の虫」、人民解放軍が弱いから、米軍に負けるから、と言うのが理由です。今の人民解放軍は「張り子の虎(毛沢東)」の典型です。人民解放軍は内線で強かったですね、でも外線の朝鮮戦争では、人海戦術での勝利です。ベトナムにもボロ負け。今の人民解放軍に人海戦術の実行は不可能です。
 米国が「台湾有事」を盛んに言い立てるのは、煙幕です。本音は
尖閣を囮にする罠に誘導する為です。習近平も面子に拘り、出来もしない、する気も無い「台湾へ武力侵攻」の看板を降していません。 
 でもね、台湾有事は無くても
尖閣有事は起こり得る。米国情報部が中国・東海艦隊の幹部を買収して尖閣に手出しをさせれば中国は罠に引っかかるよ。米軍による中国攻撃の合法的根拠が入手出来る(中国が日本を先制攻撃した、という理由だ)。
 尖閣に無関心だったはずの米国が「尖閣には
利用価値あり、日米安保を適用する」と態度変した真意は、罠利用に着眼した為だ。

◎敵基地先制攻撃の実行者は米軍    (R5、1、16)

 敵基地への先制攻撃ではダマシが多い
 先制攻撃は日本の自衛隊が実行するののではなく、米軍が中国を直接先制攻撃するので、日本の輿論を米軍の味方にする為の情報操作だ。米軍が中国本土を攻撃すると言う様な想像は、日本人の誰もがしていない。なので、それが実行されても、日本人は驚くな、日本の利益のため、米軍が中国攻撃に踏み切ったのだ、というシナリオを了解せよと、いうのが真意である。、

 尖閣が囮なのを理解出来ない習近平を罠にかけて、中国本土攻撃を急いでいるのが米国の真意だ。
 米国のプラグマチストはウクライナでプーチンを罠に嵌めた成功体験に酔いしれている。次は
お坊ちゃま・習近平を罠に引っかけるという次第。 とにかく今の米国は八方塞がりで、起死回生の秘術が、中国本土への直接攻撃だが、そのような唐突で荒っぽい手法に正当性を与えるには、日本領土・尖閣を攻撃した中国に、日米安保条約の義務に従って、中国攻撃が合法化される、と言う論理構造を構築する以外にない。

 つまり、習近平が罠に嵌まるかどうかだ。台湾への武力侵攻は危険きわまるが、尖閣ならそれが可能だ、という判断を習近平ならばするであろう、という罠戦略の構図である。米国にはプーチンへの罠成功が成功体験にある。
 米国プラグマチスト・戦略家・チンピラの脳ミソの中を覗くと、そのシナリオが読める。

 岸田総理訪米はそのシナリオを了解し、協力する意向をバイデンに伝えるのが主目的だ。会談終了後に記者会見が無かったのは、バレない為。バイデンの「国家機密持ち帰り」追求回避は逃げ口実だ。

 防衛費財源・大増税論は煙幕的な要素、米軍の悪意隠蔽の要素もあります。実被害以外の要素で、米軍の過激行動容認の伏線です。


◎尖閣が囮    (令和5、1、5)

 
尖閣を囮にし、次は習近平・中国を罠に嵌める予定だ。面子の国・中国は罠に嵌まり易い。
 米軍の主戦場はやはりアジアだった。ウクライナでロシアを罠に嵌めた成功体験に気分を良くして、次は中国を罠に嵌める。その際に日本が犠牲になるシナリオだ。
尖閣が撒き餌だ。「尖閣が日米安保第5条の対象地域」とは、もし中国が尖閣に武力侵攻すれば、米軍に国際干渉する権利を発生させる仕組みだ。中国本土を空爆する権利さえ発生する。尖閣で自衛隊員が数人でも戦死する様な事態を故意に発生させ、日本の輿論を、「反・中国」にさせるシナリオがあり、井上高志大佐を仰天させたのだろう、と推測している。

 人民解放軍には八路軍以来の伝統文化がある。「少数の敵を多数の味方勢力で包囲し、一挙に殲滅する」とか、「勝利する十分の確実性が無いのに戦ってはならない」(『抗日八路軍の基礎戦術』延安軍政学校編、駿台社、昭和27年刊)という用心深さである。この人民解放軍を囮の
餌に食いつかせるのは尋常ではない。彼等を油断・安心させる様な仕掛けと舞台が必要で、尖閣は囮に極めて適格なのだ。しかも囮の餌として犠牲になるのは米兵ではなく、日本の自衛隊員だから、いかにも米軍らしい身勝手なシナリオである。敵の弱いところを攻撃するのは常識なので、尖閣の日本・自衛隊にその弱点を担当させ、餌として提供するシナリオだ。

 中国本土空爆では沿岸部に集中した先進工業地帯だろう。中国が世界に誇るIC関係企業が集積した深圳等であろう。軍事基地・空港のような従来型の軍事目標では無い。先進経済地域の中枢を壊滅させて、少なくとも10年は後進国に時代を後戻りさせ、米国の覇権を堅持させるだろう。俺がバイデンの立場ならそうするね。
 中国の
最大の弱点は、先進地域が沿岸部に集中・集積しているところにある。ビルマの様な国でも、首都を奥地へ移転させる等、敵の攻撃を警戒しているのに、中国は余りにも油断している。軍事攻撃には最も脆弱な位置にお宝を並べている。俺がバイデンなら尖閣を囮の餌にし、中国がそれに食いついた途端に、沿岸部を空爆し、短期に作戦を終了させる。かくて、米国の覇権は継続可能になる。

 ウクライナでの火遊びが行き過ぎて、ロシアに核兵器を使われては、ヨーロッパが第三次世界大戦の
三回目の戦場になってしまう。なので、慌てて米国は本命の中国攻撃に目を転じたのであろう。日本は間違いなく中国からの搭載ミサイルの被害を受けるが、米国本土は無事だという見通しだ。グアムはやられても、ハワイまではやられないだろう、と見通しているらしい。(なので、ウクライナはヤマ場を越えている)

 米軍は中国
攻撃をいでる。将来の話ではない。ペロシ下院議長の訪台目的は「台湾は心配しないで」という根回しだった。また、米国でのトランプ追求は極めて執念深いが、これは合衆国の命運がかかっているからだ。内政の危機を対外戦争で乗り越えたいのだ。しかし習近平は意外にのんびりしている。
 今、まともに米中が交戦すれば米国の勝利だ。人民解放軍は弱虫のあつまりだ。米軍の安保条約尊重は表面上の口実だ。報復攻撃で日本には中国からミサイルが沖縄や横田基地などに飛んでくる。日本の犠牲が大きくても、米国本土は安全地帯だ。

 ここで戦略家・レーニンありせば、中国は取り敢えず台湾の独立国家承認に踏み切るだろう。習近平よブレストリトウスク講和の前例に学べ。米軍の中国攻撃開始を失敗させろ。もし平和が継続すれば、米国は
自然衰弱へ向かうのみ。連邦も分裂するだろう。米国はこの国内危機を乗り切る為に対中国の熱い戦争を狙っているのだ。家来の日本は犠牲にさせられて大迷惑だ。
 

 
◎中国もプラグマチズム国家    (令和4、11、28)

 中国はプラグマチズム国家である。また、米国も同様にプラグマチズム国家である。
 また、元々中国は
分裂家だ。従って、むしろ共産党の求心力を強く必要とする国家だ。まさに、その点にこそ共産党の存在価値がある。中国の様な広域領土の国家形態を考える時、日本的な中央集権の政治制度が通用しないこと位は常識ではないか、バカめ。

 本屋の店頭に並ぶ「嫌中本」に中国の
分裂期待本が多いが、これらの著者は既に分裂済みの中国文化を全く理解していない。但し、自己中心主義者の分裂文化・中国の許では、汚職が多く、自分の国を信用出来ないので、資産を海外に逃避させたりする。
 習近平が最も悩んでいるのがこの中国文化・汚職文化である。なので習近平は汚職摘発に忙しい。他方、自己中心主義者がお金をしこたま貯め込むには、この共産党の独裁政治こそが不可欠でもある。改革開放政策は、独裁政治とコラボしないと、失敗する。
 自由主義イデオロギー
肥大症米国の中国観が、中国文化を客観視しないで、偏向している限り、米国の対中国政策は失敗を繰り返すであろう。
 米国も中国も共にプラグマチズム国家で共通文化ではないか。米国大使館のスタッフよ、勉強し直しなさい。
 尚、毛沢東思想も、軍事理論の「戦術論」に関して言えば、プラグマチズムの典型だ。『抗日八路軍の基礎戦術』延安軍政學校編、石木田正三郎・訳、(駿台社、昭和27年1月20日発行)の遊撃戦理論は、プラグマチスト・毛沢東の面目躍如たるものがある。かの有名な『持久戦論』もその延長にある。
 毛沢東は中国の党の中では田舎のオッサンで局地的な遊撃戦の巧者だが、インテリのモスクワ帰りのマルクス主義理論家からは遙かに下位に置かれていた。しかし、
貧者に対する愛情、理想主義を根底にした勢力温存主義者だったので、最終勝利者に成り上がった。
 世界には某国共産党のように勢力温存主義だけで党官僚がメシを喰うシステムの永続化を目論んでいるが、残念ながらジリ貧に向かうのみ。

琉球の独立   (令和4、11、24)

 元々、琉球王朝は中国に冊封されていた。薩摩藩との両属関係にあった。「琉球回収」を呼号する中国の鼻息は荒いが、日本外交も交渉で周辺海域の安全保障環境を抜本改善させ、隣の大国との関係を安定させるには妥協も協力も必要だろう。
 琉球国が中国と
親密になれば、日中のとげとげしい関係を中和する。台湾独立でも、台湾は中国と親しくし、経済的にも中・台は不可の関係を継続するだろう。日・中の間に緩衝国が二国も出来る意義は絶大だ。然るに、琉球と台湾という二つの火薬庫を日本に背負わせているのが米国だ。
 
◎貧困は女性を抑圧する    (令和5、5、14)

 アフガンのタリバンは女性が学習するのを阻止するのがけしからんと言う意見が日本人に多い。その日本でも、昭和初期の不況期には東北の娘達が一家の犠牲を一身に背負い、売春婦に売られていった歴史を持つ。貧困は女性抑圧を慣習化し、制度化する。
 貧困な社会では女性を抑圧することで
家族を維持している。昭和に入ってからでも、日本の貧乏な親は娘を売春婦に売る手法で一家の生計を維持してきた歴史を持つ(特に東北)。

 さて、タリバンが女性の地位向上につながるような政策に断固反対している現実に、どのような対応をすれば正解になるのでしょうか。
 地球上の各地域は同時に21世紀を迎えているが、各国各地域は、その歴史の発展段階では様々なレベルの違いの現実のもとで21世紀を迎えている。先進国・日本の立場でタリバンを非難するのは簡単です。でも、女性を極端に抑圧する事でしか、社会を維持出来ない貧困なアフガンのド田舎に、高い目線で非難の言葉を発して、平気の平左という無神経な貴方方よ、昭和初期の日本の東北地方の貧農達の姿を思い起こして下さい。タリバン達は貧困に苦しんでいるのです。
 さて、育児・家事・介護の負担で大きく女性に負担を強いている今の日本社会と、タリバンが女性の教育機会を否定しているアフガン社会との違いは大きいのでしょうかね?至近距離とは言いませんがね。
 女性抑圧という社会制度・社会慣習は、経済力と逆比例していますね。


中国地方制度特徴 

日本;6割官治。 中国;権力の中央集中。 米国;国家非常事態宣言多用
日本;4割自治。 中国;省は人治・請負。
  米国;百%地方分権

◎思想でなく要求で  (令和4、2、15)
              立憲民主党に提言
   

 「批判ばかりが目立つ」という立憲民主党批判に、何を受信すべきか?結論から言えば、イデオロギー主義の体臭が感じ取られ、それへの批判と受信せよ。時代は「要求での結集時」に移っている。若者時代の到来だ。
 「対案を出す」などという返答は
見当違いも甚だしい。ピントがずれている。与党の土俵は無視せよ。
 「総理、総理、総理・・・・・には要求では無く、思想を感じる」

 昔は、その党の体質・思想を感じ取り、
左派性を信じて投票行動する傾向があった。しかし、そのような人々は高齢・少数化した。立憲民主党の選挙での不振が共産党との連携に原因が有るかのように説明されているが、そうではなく、もっと深い所に原因がある。「批判ばかりが目立つ」批判の意味するところは、イデオロギー政党にはウンザリで駄目というのが真意です。

 ビジネスモデル転換期と軌道が似ているが、政党モデルを転換すべきだ。取り敢えずシングルイッシューの要求で結集を呼びかけよう。「
派遣法廃止の赤バッジを普及させ、参院選挙にチャレンジせよ。共産党との数合わせはナンセンスだ。共産党の市民権を強化するだけで、むしろマイナスだ。撃ちてし止まん、戦死も覚悟せよ。落選・失業を恐れる奴は除名せよ。
 自民党を見習っても良い。自民党は各地方からのシングルイッシューの大集合体である。

 西欧先進国の左派政党の衰弱が顕著だ。特にフランス左派の凋落が代表的だ。簡単に言えばイデオロギー政党の没落である。左派看板がブランドでは無くなっている。左派のオランド政権は左派の要求に応えられなかった。その政権の経済相だったマクロン大統領も「変革」をキャッチ・フレーズに登場したが、庶民の期待は裏切られた(オランドと野田元総理には相似を感じる)。

 今フランスでは、ル・ペンの娘が党首のFNが飛躍しつつある。古典的右翼とはかなり違っており、労働者階級の支持が拡大している。このFNも
要求で結集したシングルイッシューの党である。古い頭の左翼は「右翼蔑視」の視線に傾くので、情勢判断を誤っている。右翼・左翼の看板に正当性は無い。古ぼけた左翼看板を出し続けて、右翼看板を蔑視しても、何のメッセージをも発信していない。移民反対は労働者の本音だ。FNは右翼思想の看板で運動を進めていない。庶民の要求を結集させて運動を進めている。親爺のル・ペンは思想によって団結を拡大させようしたらしいが、娘は要求をもって団結を呼びかけている。右も左もイデオロギーは糞喰らえの時代となった。 

◎大討論会開催を    (令和3、11、6)
 国民の大討論会に法的・制度的根拠は不要である。どこかのビルの一室でボランティア数十人から始めるべし。既成政党や政治家の集票や、官僚に誘導利用されないような配慮が必要だ。
 正規の日本国会をあえて無視する。マスコミに売り込む必要無し。ネットでの発信だけで良い。但し議論の中味は、
高品質で無ければならない。ボランティアは顔と名前を出すメンバーが多い方が望まし。覆面者の比率は少数が望ましい。中味が高品質・濃厚であれば、やがてマスコミも寄って来るだろう。議案は「派遣労働ゼロ」法制化だ。派遣労働禁止法でも良い。今やシングル・イッシューの時代だ。立憲民主党も反省しろ。
 
体制側は既成秩序破壊者呼ばわりするだろうが、「シングル・イッシュー」だから既成秩序の一部変革に過ぎない、と返事しよう。シングル要求以外は全て保留だ。現時点では積極肯定も否定もしていない。
 とにかく、既成秩序が揺らいで来るだろう。


◎赤バッヂで参院選を  (令和4、2、11)

 
れいわ新撰組山本代表殿

 直径15mm位の丸く赤いバッヂに「
派遣法廃止」を表現し、若者達の間に広く普及させよう。
 参院選は当面の最優先課題に全力を集中させよう。シングル・イッシューで良いのだ。既成政党は全て政策の百貨店だが、パンチに欠ける。

 イデオロギー政党の斜陽化が目立つ。 
 政党のモデルチェンジが必要な時代だが、既成政党にそれを期待しても無駄である。昔は自己犠牲をいとわず、模範的・献身的に人民に奉仕した政党も、今では党組織の温存それ自体が主目的になり、組織の常勤職員が「メシを喰う」システム維持に執着し、党員の老齢化で先細りしつつある。
 また、ムシの息に近い党でもいくらかの残存価値があるので、それをとことんシャブリ喰らう執念の指導者に取り憑かれた瀕死の既成政党もある。
 れいわ新撰組はシングルイッシュー「派遣法廃止」の一点突破で、若者達に呼びかけてほしい。

 
ジョブ型雇用は白昼夢   (令和4、2、9)

 終身雇用からジョブ型雇用の時代だとさ。この理屈、まともな理論では無く、唯の妄想である。雇う側の妄想で、質も筋も悪過ぎる。
 雇われる方が「ジョブ型ですんなり対応してくれるだろう」と言う無邪気な発想が大前提になっている。「高品質な労働力が、短期間の切り捨て御免で、任意に百%雇える」という無邪気で暢気な妄想が大前提にある

 学者の中には、制度をいじくるだけで「
適材適所採用」が簡単に実現するかのように夢想している不勉強な輩も居る。人事の難しさは、制度の改良では実現しない。人事・採用はバクチの要素が免れない。究極的には、人事担当者の眼力である。しかし、今の時代、不思議と人事担当者に人材が居ないのだ。人事担当に有名大学の秀才を揃えても、其奴の存在自体が大きな障害にさえなっている。採用者側も、被採用者側も人材の劣化が著しい。劣化の原因が時代に有る限り、小手先で制度をいじくり回しても正解は出て来ない。

やしの日本列島  (令和4、2、7 & R 5,3,5)

国家の将来像は

・徳性の高い国家で、日本列島は地球規模での
癒やしゾーン
・癒やしゾーンの
コア圏域は四国全域
・憲法9条は有効で貴重な日本資産
・愛子女性天皇で日本ブランドは頂点に輝く

即、実行可能な第一次課題

 
短期
・取り敢えず、四国88カ所
徒歩巡礼を世界の若者達の通過儀礼の場に育てる 
・弱肉強食や欲望肥大症の価値観からの脱出を世界の若者に呼びかける
・デジタル時代には、その対極の
アナログ需要が拡大する

 
中期
・当面は外人若者に民宿経営を勧める(日本の若者は冒険心が欠如)
・本格的な外国資本による、四国中の
空き家、廃校等、不動産の買収(日本の資本は消極的)
・大資本が動くなら、
琴電の買収

 
長期
・超巨大資本が乗り出すなら、
JR四国、四国電力の買収が有効。外国資本に期待。消極的判断の日本資本は諦めましょう。
 日本で最初に家庭用電灯を売り出し、ランプ時代を卒業させたのは、電気鐵道会社である(京阪電車の史料あり)、電力会社ではないよ。今の電鉄は地域を総合経営する姿勢に欠け、百貨店のような古いビジネス・モデルに拘っている

◎予備地方公務員制度新設を  (令和3、12、25)

 昨今、東・南海道における連続巨大地震の可能性が論じられている。この場合、被害圏域が広域に及ぶが、それに対応する地方自治体の人的劣化が心配である。過去の局地的災害でも自治体の機能不全が既に可視化している。他府県からの応援を得て、かろうじてしのいでいる有様だ。原因は「改革」の行き過ぎだが、今更それの当否を論じても始まらないので、ここではそれを応急補修する次善の策を提案したい。
 私は現役時代『地域防災計画』の改訂を二度経験しているが、この計画の核心は、軍隊に例えて言えば、正規職員に対する「召集令状」的な動員を強制する性格と、もうひとつ「文官を武官」にする様な業務遂行激変の意味合いを持っている。
 卑近な例えだが、『地域防災計画』は「忍術虎の巻」のようなもので、災害の非常事態に際し文官の事務職員をドロン・ドロンと武官に変身させるが如き性格を持っている。普段は税金を徴収している事務職員でも、避難所の設営や被害調査の為、一兵卒として現地に赴く。
 正規職員の中でも特に「技能労務職」と呼ばれる職員、下水道課・道路課・衛生課(薬剤撒布等の現業職員)、小・中学校の校務員等々の、いわゆる現業職員は非常事態おいては極めて有効・有用な役割を遂行する貴重な人材で、軍隊で言えば下士官クラスの存在と言える。
 残念ながら技能労務職の職場は先行して業務を民間委託され、正規の事務吏員も「会計年度任用職員」等が多用され痩せ細っている。
 このような現況ではあるが、正規職員の退職者を予備役公務員として人材確保すべきではないか、と言う提言をしたい。
 もとより、いざ動員の場合は地方公務員として機能させる。長年、地方公務員として自己規定してきた自覚的な人材なのでそれが可能だ。広域に及ぶ災害が発生し、他都市からの応援に時間差があったり、また十分な応援が期待出来ない事態も予測されるなかでは、予備役地方公務員制度を考慮すべきだ。
 正規職員への動員令の効力等にかかる現行制度は不充分である。「地域防災計画」の制度的欠陥を言い出せば多数出てくる。今、これを深める議論はしたくない。抜本的な制度改革ではなく、応急的な制度補修にとどまるが、緊急性は高い。
 多くの退職者の中からの選考は厳格にし、予備役期間を限定し、9月1日防災の日には訓練出動の義務を課すので応分の報酬も必要だ。
 私の定年退職の日に亡妻が「一番あんたに居って欲しい時に、あんたは居らんかったね」とつぶやいたのを思い出す。大災害の後、現場で活躍していた警察官や自衛隊員には尊敬の目が向けられていたが、避難所の自治体職員には罵詈雑言が浴びせられることもあった。住民は行政に「無限責任」を求めるので自治体職員のしんどいところだ。


◎中国への空爆に法的根拠   (令和3、4、18)
 
 日米首脳会談は米国に成果があった。 
 尖閣が日米安保第五条の適用範囲という確認は、米国に中国本土への武力攻撃に法的根拠を与えており、今の局面展望の起点になる極めて重要な相互確認だ。米軍は尖閣の日本軍に加勢せずに、中国本土への空爆を合法的に実行するだろう。中国敵視では連邦の国家意思が形成済だ。但し、中国側からの反撃ミサイル等は日本列島に届くだけだ。米国本土に届かない。
 米国は気楽な空爆で中国沿岸部の情報産業を攻撃し、世界のマーケットでの優位を確立するだろう。尖閣も、台湾も日本列島も餌で罠に過ぎない。米軍としては、中国側が台湾や尖閣を占領するのは大歓迎だ。後方の本土沿岸部に大きな隙が出来る。

 日中間の尖閣紛争そのものは、普通の近隣対立・領土紛争であり、世界中には掃いて捨てる程あるよ。そこに米国の助太刀を期待するのはバカげている。友好国支援の米軍海外派兵ダメという米国の国民感情を考えろ。その考慮無き日米同盟論は空疎だ。尖閣紛争で孤独を覚悟せず、腹を括れないようでは、権力者失格だ。

 尚、米中の軍事対立で、「台湾海峡への米軍の軍事力を集中させるにはかなり時間がかかる」という奴がいるが、此奴は机上のエセ専門家だ。決して喧嘩の専門家では無い。弱者の位置で非対称の喧嘩を続けて来た俺の「喧嘩センス」など、到底理解不可能だ。



◎動く漢民族 (令和3、9、13)

 
動かない印度と対称的なのが動く漢民族・中国だ。国土が広大なので、東西南北の外敵を鎮圧し中華帝国を防衛する為、北狄、東夷、南蛮、西戎の討伐でせわしなく動き回るのが中国文化だ。かくて北(露)、東(日)、南(ベトナム)、西(印)が迷惑する。
 中華帝国には明瞭な輪郭を持った国境概念は無い。近代国民国家の国境概念には欠ける。その時代の帝国の国力に応じて版図が膨張したり縮小したりする。なので今では沖縄も帝国の圏域に入れて当然と思っている。実に厄介で迷惑な中華帝国なのだ。


◎チュルク諸国機構   (令和3、12、28)

 トルコが「チュルク諸国機構」を創設したという。トルコが地域大国として国際的地位を高めののは良いことだ。そうよ、EUに加盟するのを諦めたのは正解です。
 アゼルバイジャン、ウズベキスタン、カザフスタン、キルギス等が参加し、トルクメニスタンもオブザーバー参加だという。ステップ・ロードの乾燥アジア・中央アジア諸国は
視線が外向きなので、結集させやすい(南側のモンスーン・アジアの諸国は視線が内向きで、逆に結集させにくい)。
 盟主トルコ
はさすがに旧帝国の継承者だ。アフガニスタンでは米軍が撤退済で、グッド・タイミングだ。米軍がアフガンから撤退した影響の大きさに刮目。英国等に負けて版図を縮小させられたトルコが再膨張を開始し始めたね。トルコ系の新疆・ウイグルを勇気づけており、習近平も内心穏やかでは無い。

 
◎政党のモデル・チェンジ   (令和3、12、16) 
 
 世界的規模で時代は政党のモデルチェンジを求めている。従来のイデオロギー政党から、特定の利益的関心に基づく優先課題に取り組む問題解決政党・政策課題政党への変身である。ドイツの
緑の党などが新しいモデルの政党だが、日本でもそれと同じような政党が出始めている。
 反イデオロギー政党の先行形態は、大阪府知事に横山ノックが選ばれた事例が先駆だ。青島都知事の出現も政党モデル・チエンジの先行形態である。
 次いで大阪の地方政党「大阪維新の党」が出現した。大阪市・府の公務員労組の行儀の悪さが目立ち過ぎて選挙民の反感を買い、「組合運動の軌道修正」を旗印に橋下市長の攻撃が成功した。だが、テーマ達成後も「改革」のスローガンを降ろさず、改革をイデオロギー化して全国政党を目指したものの、古いタイプの政党に逆戻りしたので、延び悩んでいた。
 しかし、コロナ不景気で溺死寸前の保守層は自民党にも愛想を尽かして過日の選挙では「維新の党」という藁をつかんだ。さてさて、掴んだ藁は救命具になるのでしょうかね。

 
◎維新の党の限界  (令和3、12、16)

 
身を切る改革と称し、タコが自分の足を喰らうが如き行政実行に傾き評判を落している。そこで地方政党らしく「大阪府・市二重行政打破、大阪市の解体」を新しいテーマにしているが、府下自治体職員からは、「大阪府こそが邪魔な存在だ、中間的自治体は不要」という声が圧倒的だ。一過性のテーマ政党の限定性を自覚せず、改革をイデオロギー化した永続政党への変身に失敗している。改革と称して行政事務を片っ端から民間に業務委託し、社会の基幹インフラとしての自治体破壊を推進し、経費節減・改革を実行と嘯いている。もし、東海大地震でも発生すれば、直ちに自治体崩壊が可視化されるだろう。ようするに市役所が全く機能しなくなる深刻な事態が露呈する。地震に見舞われた九州の著名都市がしばし呆然自失、他都市からの応援職員が着到してようやく機能し始めた事例の記憶が新鮮だ。
 万博やバクチ場・カジノの様なオワコンの斜陽産業しか思い付かない貧弱政策の政党で、怪しい詐欺商売の片棒を担ぐ国会議員迄出てきた。地方議員レベルでの腐敗議員も多く,屡々新聞に報道されている。

 
◎イデオロギー政党の衰弱  (令和3、12、16)

 党組織の永続性が至上価値で党組織の持続課題が優先し、それが自己目的化する。党への忠誠要求、永久拘束、帰属の固定化等々が特徴で、簡単には党籍を離れられず、除名処分にされるような政党もある。また、強い身内意識での感情的融合が味方と敵、組織の内と外を峻別する。これらの政党は推戴する御本尊(綱領等の立ち位置)により、派・保守、派・革新、中道などと色分けされる。
 御本尊に崇高な理想を掲げてはいるが、政党は諸々の利権と結合し易く、腐敗し易い。政党は支援者の既得権擁護が主な役目だから、ついついそこに傾斜する。また、大企業の労組も会社の利益を前面に掲げており、社会にとって有害な存在に成りつつある。

 一方、現代の若者はスマホのネットワークがあるので、共同社会的な党派・結社性の装置を必要としなくなりつつある。昔のような帰属集団での抱擁感、安定・安心感を必要としていない。現代人は思想での団結やセクトへの帰属には拒否反応を示す。他方、
要求を旗印ネットワーク結集する行動には迅速反応する。拘束を拒否し自由を確保しつつも要求はある。それを実現させたい、その為にネットワーク結集には簡単に応対する。これが若者・現代人の政治行動だ。
 既成政党は古い枠組みを崩さないまま、現代人の政治参加への無関心を嘆く。既成政党が宣わく、「おっしゃる様な要求は吾が党政策の
陳列棚に品揃えを済ませております」と、鈍感に嘯いている。全く救い難いすれ違いだ。その政党は、党員減・機関紙読者減等々を嘆いていても「党は正しい」と反省しない。

 
◎天皇制モデルの進化  (令和3、12、16)
 
 新憲法下での象徴天皇制とはこうあるべきです。とばかりに懸命に努めておられた上皇様に心服している。皇室モデルも日々進化を遂げつつある時代になった。上皇様、ご苦労様でした。保守・右翼の男系天皇論は側室制度を前提にし、天皇を内閣の奴隷的存在にするものだ。「贅沢させてやるから、温和しくじっとしておれ、いわば操り人形の如き存在になれ」と言っているに等しい。真に無礼な奴等だ。皇族にも自由と人権がある。自由を過剰制限してはならない。週刊誌等のジャーナリズムよ「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでまえ」。


◎政党モデルの転換期    (令和3、10、18)

 欧州ではイデオロギー政党に終止符が打たれようとしている。やはり、欧州は世界史のセントラル・ステージだね。
 
まず、スペイン、ポルトガル、そして北欧、ドイツ、ノルウエーでの国政選挙では中道右派離れが進み、緑の党など環境政党や諸々の「政策小政党」が乱立し、社会民主主義政党が第1党になったものの、ドイツでの支持率は低いという。つまり、縮小しつつある左派政党が第1党になったものの、イデオロギー政党の後退期入りが顕著なのだ。
 従来の政党はイデオロギーを強調し、その違いを争ってきた。そもそも左派・右派というレッテルはイデオロギーの物差しで区分けされている。このような政党モデルが古くなりつつあるのだ。 
 若者達が選挙に無関心なのは、イデオロギー政党しか選択肢が無いので興味が涌かないのだ。宗教の教義もイデオロギーそのものだ。「反共」を掲げてもイデオロギーが舞台だ。イデオロギー政党は左派の独占では無い。右派の安倍前総理の一派も立派なイデオロギー政党だ。
 生活不安定、落ちこぼれからの救助、その政策だけでの一致で良い。日米安保の「
踏み絵」を踏まねば「イデオロギー仲間の一員と見なさない」と言う様に狭き門は駄目だね。 
でも、シングル・イッシューの政党では総合性を欠くので、政権担当出来無いと言う批判にどう答えるべきか。この難問への回答は可能だ。重要政策毎に連立を組み替えねばならないが、硬質性の連立では不自由なので軟質性の連立が求められる。多重連立方式でも良い。長文になるので保留だ。
 日本でも既に「令和新撰組」や「NHK・・・」と言う類いの政党が散見されるが、成熟度がいまいちですね。 


◎中国が分裂しない理由  
(令和3、10、17)

1、既に
分裂済だ。一君万民制は分裂済の上位概念だ。自由放任主義、「自己責任主義」が分裂済を説明している。省の請負制、非・法治、人治もね。
2、共産党王朝を分裂させると、賄賂の金額が激減する。各レベルでの各種利権は王朝の規模に正比例する。中華帝国への求心力の源泉です。

  ※アメリカ合衆国も各州で既に分裂済だから、分裂しないわけです。合衆国の州と中国の省は構造的によく似ています。
3、王朝の求心力を低下させる分裂は起らないが、左右両派の路線抗争は寸暇を惜しまず続く。求心力分裂を期待する奴は愚の骨頂。整風運動、粛正は共産党にとって不可欠。
  ※大き過ぎるからこそ、
大昔から分裂済である。それ故に、人治請負制なのだ。

◎対中包囲網非同意のアジア首脳  (令和3、6、22)

 新聞報道によれば、老練95歳マハテイール前首相(マレー)、フアム・ミンチン首相(ベトナム)、プラユット首相(タイ)、ラジャパクサ大統領(スリランカ)、等々の首脳達は「中国包囲網」構想に反対の姿勢を示している。控えめに中立を口に出す程度だ。印度外相もQUADに傾斜を避けると言う。
 フイリッピンのドウテルテ大統領の発言は問題の核心を突いている。「大国間の競争では、どちらかの側につくべき、という必要を感じない」。これぞ正しく時代の変化を踏まえている。QUADへのこのようなアジア諸国の反応に鈍感な日本外務省は外交感覚がゼロと断言出来る。お前らそれでも外交のプロか?、月給泥棒め。
 モンスーン・アジアの文明基盤を踏まえて判断せよ。モンスーン・アジアでは、乾燥地域のように山賊行為をしなくても、どうにか食っていける。他人同士の争いに引き込まないでくれ。


 
◎株式会社の特権を疑え  令和29、29)

 そもそも株式会社なるものは日本社会という基盤上で有限責任という特権地位を認められて存在している。特権行使には抑制的で慎重且つ全方位配意が必要だが、無謀運転が絶えない。そのせいでタコが自分の脚(基盤・社会)を喰らう様な無責任行為を平気で実行する。二言目には規制緩和をがなり立てるが今や諸悪の根源だ。有限責任法人活躍社会だから諸々の規制があり不自由で当然だ。

 とにかくこの有限責任の特権を疑え、制限やブレーキが当然だと言うのが俺の言い分である。大企業は存在基盤である社会に無限責任を負う自覚をせよ、と言うのが俺の主張だ。
 政府も自治体も無限責任を背負って苦しんでいるのだ。ならば、大企業・株式会社も無限責任を背負って苦しむべし。とことん搾取し深く傷ついた非正規雇用者を自治体に投げ込む様な悪行を止めてくれ。自治体は野戦病院化している。有限責任の企業は利益だけを取り込み不利益は外部へポイ捨ての無責任だ。
 
 今や企業が依存・立脚する社会基盤は衰弱し疲弊の極にある。企業というタコが自分の脚を喰らう無責任行為を認識できないシステムが高速回転している。

 過去の水俣病も、今の東電による放射能被爆も被害者からは株式会社への無限責任が追求されているのが現実だ。でも、株式会社の東電は有限責任論の論理で逃げまくった。論理不整合そのものだ。
 残念ながら株式会社の有限責任の特権は放棄されそうにない、この経過に連続出現したのが自然の大災害だ。オカルトと誤解されそうだが、価値観の強制変更の進行には刮目している。今の時代は株式会社の有限責任特権の崩壊過程にあるらしい。


 
◎自粛文化  令和2、8、30、補正)

 自粛文化とは同調圧力が強く自主規制の半強制文化ともいえる。コロナ対応で西欧では強制力のある外出禁止令が出て、都市封鎖が実行されるが、日本では「緊急事態宣言」と言いながらも、強制力が無いような有るような半強制で「同調」を期待し、それでも大いに効果をあげているので、西欧社会から羨望されている。

 西欧と日本の違いは、日本の国家権力が人民に対し
無限支配をし無限責任を負っている点にある。ここに自粛文化の根源がある。これは西欧的な有限支配・有限責任とは正反対の概念である。しかし、無限支配とは言いながらも、古代・中世・近世と違って今日では有限支配の側面がかなり濃厚な現時代に移りつつある。

 人民に対する無限支配を可視化すれば「
徴兵制」である。この徴兵制は憲法で否定されており、日本の右派達は不満でならない。政府が無限責任を背負っているのに、人民共には徴兵制の義務が無い。これでは均衡を失している。政府に無限責任を求めるなら、人民も無限責任を背負え。と言うのが右派論客の立場だ。

 日本ではこの無限支配・無限責任は、古代から近世迄
長く続いた。この後遺症が令和の時代にも根強く残っている。自粛文化の根底には、人民への無限支配の根深い拘束力が有効性を発揮する。
 今、日本の弁護士達は「政府の責任」を追求して止まない。人民に無限支配で強制しているのだから、政府・権力者は無限責任を取るべし、という論理構造だ。なので官僚・公務員達は無謬性を至上の価値とする。
 江戸時代の百姓一揆の
法源はこの「権力者側の無限責任」に由来している。

◎習近平ノーベル賞を狙え  (令和2、6、10、補正)

 
前例がある。西独首相ブラントを見習え、彼は「1民族2国家」、二つのドイツを受け入れた。1971年ノーベル平和賞を受賞したよ。両ドイツは共に73年9月国連に加盟した。
 でも、ブラントは東独を「
国際法上承認しなかった」という。この手法に準じて台湾をも同様に国際法上承認せずに、国連加盟をも認めるのだ。最大の受益者は日本だろう。
 学者や外交官の皆様「ド素人の妄想」と軽蔑するなかれ。中国を事実上の仮想敵国で無くするのだ。
 東アジアでの米中対立は諸悪の根源で、対米従属日本は軍事費を増大させられ実害が大きい。台湾問題が解決すれば、東アジアでの米国の軍事的存在の理由がなくなりますね。

 今、トランプは再選に向けて切り札を探し求めている。しかし北風オンリーでは中国を動かせない。
変化球を投げて見ては如何かな、トランプさんよ。

 その昔、西側を驚愕させた
ブラ
ント決断東方政策は米国の排除に極めて有効でした。習近平よブラントの決断を見習え。

◎米軍を遠ざけよ  (令和2、7、11)

 
台湾独立の最大の利点は東アジアでの米軍の存在を大きく引き下げる。また日米の離間策にも通じる。アジアから米軍を追い出すのが真の狙い
である。今、毛沢東が生きておれば、彼は「日米の離間策」に最重点を定め、脳味噌を絞っているだろう。台湾の独立承認にはその効果がある。トランプ時代だからこそ米軍の追い出し戦略は有効である。対台湾政策に残っている冷戦思考の残り滓を消去しようぜ。
 今、トランプ大統領の特異な個性に着眼しよう、チャンスである。日本の戦国時代には「
和睦」という対立抗争文化があった。対立抗争における時計の針を停める行為である。「戦局の固定化」とも言えるが、休戦協定に似ていても、休戦協定とは少し違う概念である。また、戦局の固定化であって決して敗北では無い。
 但し、その時点での力関係は正確に表現されるものだ。


  
新時代の住民把握
 
敢えて横道にそれる。日本の市町村行政で最重要な根幹事務は「住民把握」である。徴兵検査に有効であった戸籍の付票制度は今尚機能している。米国には戸籍の付票的な発想は無い。
 でも、俺が新米職員の頃の門真市では特に住民把握に苦しんでいた。高度成長期の門真市は人口急増都市で、「幽霊人口」に悩まされていた。幽霊人口は住民登録無しと、住民登録制度があっても人間は他市に転出済の幽霊人口があり、住民捕捉が正確ではなかった。また、昼間人口の行政需要の負担増による損得や、夜間人口の有利云々等の課題もあった。

 
俺が若い頃、選挙の際はその都度現地に赴き、実地調査して選挙人名簿を調製していた。選挙人の資格を厳密に概念規定すると、法的に必要な事務であった。一方、米国では有資格者が申し出る「登録主義」だ。
 やがて日本ではその都度現地調査をやめ、住民登録にリンクさせ住民登録が即「選挙人名簿」になり、世帯単位に入場券を発行し郵送するようになった。しかし郵便物が届かず返送されて来る割合が今日でも数多い。 特に全国都市部に共通現象で例外はない。この現象はある種の
スラム化現象である。大災害被災地では、この農耕文化由来の「
土地への縛り付け主義」は既に崩壊済だ。大阪市西成区の釜が埼では大昔から崩壊済だ。
 )この問題指摘は朝日新聞平成19年7月12日「私の視点」で「現代版往来手形を考えよう」で行なった。(技術的には「ブロックチエーン」で「新時代の住民把握」は実現可能ではあるがね・・・)
 米国にはそのような「日本的住民把握の哲学もノウハウ」も無い。日米地方制度の違いへの理解を欠いては、国家非常事態宣言の深層部分の理解は困難だ。
 はからずも資本主義の総本山が「パンデミックに最も弱い」と判明した。世界最強の軍事力を誇る米国が伝染病・ウイルスに浸食されつつある。核攻撃よりも怖いね、トランプさんよ。その間隙をついて赤い王様は飛翔体を何回も飛している。
 
◎一党独裁の利点
 (令和2年2月24日)

 中国嫌いの人々は中国崩壊の促進要因と評価し、涎を垂らしてニコニコしている。しかし、残念ながらそれとは
真逆の事態になるでしょう。中国の党指導部はこの困難への対策で「社会主義」の優越性を立証して自信を深めるでしょう。やがて「社会主義の方がAI社会に適応し易い」とか「迅速な病院建設等、共産党指導国家体制の優位性を証明するもの」と言い出すでしょう。事実、その通りなのですが、曇った色眼鏡をかけたナショナリストには理解不可能なようです。一党独裁は非民主的で欠陥も多いが、利点も多いのです。

 前例1
 独ソ戦争の際、工場を大量疎開させて工業力を確保したのが「何でもあり」の前例です。「何でもあり」とは、生き残る為には「
手段を選ばない」「無茶苦茶あり」の行動です。「体制が生き残る」目標が、至上命題なのです。自然の流れに身をまかせた致しません。実に単純な論理構造です。これが一党独裁の利点です。兵員や市民の大量損耗も考慮しません。その点、米国では戦死者激増は不可能です。一党独裁では、大量の犠牲も何のその、一党独裁は生き残るのです。

 ヴォズネセンスキー(ゴスプランの議長、後年スターリンにより粛正さる)著『大祖国戦争期におけるソ同盟の戦時経済』で、工場疎開を彼は社会主義の優越性として論じていますが、「社会主義イデオロギー」の価値評価とは切り離して考えましょう。社会主義が嫌いでいいのです。それでも一党独裁制度を、好悪・嫌悪の感情を抜きにして評価して下さい。
 独ソ戦争でのスターリングラード(レニングラード)の攻防戦もその事例です。兵員の消耗が、いくら大量であっても、それに左右されないのです。スターリンが情勢判断を誤り、ヒットラーを甘く見た大失敗により、ソ連兵員・市民の消耗は莫大な数に上りましたが、スターリンは独裁権力の維持目的を達した歴史があります。つまり何でもあり」「無茶苦茶あり」だから、経済指標を見て中国の崩壊を論じるのは、的外れです。

 前例2
 朝鮮戦争では中国・人民解放軍が義勇軍参加の名目で参戦し、中国側は莫大な兵員を犠牲にしました。しかし、人民解放軍の
人海戦術は途絶えませんでした。マッカーサーは敵兵をいくら殺しても次々にウンカのごとく涌き出てくる中国兵にあきれ果てて癇癪を起こし、終にトルーマンに原爆の使用許可を求めてクビになりました。
 一党独裁の特徴への理解不足が原因のクビでした。
 前例3
 イラン・イラク戦争です。イラン正規軍がお手上げ後も、ホメイニ派の抵抗戦争が
人海戦術でした。
終にホメイニ派は勝利しました。
 前例4
 ベトナム戦争です。ホーチミン派の人的消耗は甚大でしたが、米軍の敗北で終わりました。
 前例5
 アフガン戦争です。タリバンと話し合い撤退しつつある米軍の敗北です。
 前例6
 イラク戦争でも、米軍勝利と言えるでしょうか。IS掃討は未達成です。


小親分の死を悼む  (令和元年9月7日)

 5日付、朝日と毎日の死亡記事を見て俺はがっくり。「次はお前の番だ」と言われたみたい。長谷川氏は8歳年長の小親分で、兄貴分に近い存在でした。正確にはチューターでしたね。某業界紙KPのSの生き残りは俺だけになった。俺もこの秋には83歳だからそれも当然か。昭和30年代始め、ひどい不景気で安い給料も遅配ばかり。山村工作隊の敗残兵で人員整理されたM氏(立命)の自殺の報に接し、俺は復讐の念に燃えたね。俺をKPに入れてくれた北原氏も人員整理された。フランス共産党書記長の著書「人民の子」を翻訳し、岩波文庫から出版したフランス語の達人(東京外大出身)だった。

 「営内3分、営外15分」は旧軍の教本に精通した彼らしいしごきだった。長谷川氏は学生組織では分隊長だった。枚方事件で公判の都度名前が新聞に出るのでニガ虫を咬み潰してたな。たが、公判でのペンネーム、今でも本屋でよく見かけるよ。
 一方、中親分の青木氏は人格者でしたね。人望があり、心から信頼出来る人でした。「天ちゃんの車に向かって声明文を読み上げた現場には俺は居れへんかってんで、でもな、参議院に呼ばれてな、神近市子がおったな」(戦後も不敬罪が残ってたらしい?)、等々の笑い話を思い出したよ。俺は「そりゃ当然やで、京都大学同学会中央執行委員長の肩書きやんけ」とつぶやいていたな。中親分のあだ名はプチ青。

 京都大KPの学生組織のキャップは榎並氏で、榎並氏は後に、門真市総合計画審議会の会長や都市計画審議会の会長就任をお願し、俺は企画室の課長級参事としてお仕えした後日談がある。京都大学の処分は寛大であったが、榎並氏独りだけが退学処分になった。プチ青の青木氏は無事に卒業出来たが、榎並氏は京都大学中退なので、友人の京都学派の諸先生方の支援努力には大きな壁になった。

 この
榎並氏は若くして頓死したが、葬儀委員長は門真市長中田三次郎(故人)。榎並氏の友人を代表して哀悼の辞を奉じたのは市大教授の中岡哲朗氏で、そのコピーは今も俺の手許にある。葬儀委員長の側近だったのでその地位を利用したね。

 話が前後するが、世の中は高度成長期に入り、業界紙のKP経営Sのメンバーもちりぢりになった。俺は立命の哲学専攻に入学したが、他人より4年遅れの社会人入学だ。60年安保の時代でしたね。
 姫路の某社に転じた林氏は、会社更生法により北浜から退場した会社の北浜
再上場に苦労し、やりとげていたね、さすがだ。子会社の社長をしていたが、間もなく死亡した。

 KPのメンバーでは無かったが、I氏も母校の大学院に戻ったね。学園紛争の嵐にも既視感があったので平気の平座。ついに学長になってたな。アラビア語の専門家だった。アラビアンナイトを全訳出版したとかいう新聞記事を読んだね。某女性知事がエジプトへ留学する前に相談にのっていたとか、仄聞したね。

 皆、スネの傷が癒えたので各方面に散っていった。このメンバーには共通点がある。動乱に強く、危機管理に才能を発揮するのだ。俺もこの能力だけを身につけていた。未熟な青春ではあったが、悔いは無い。貴重な無形財産を身につけていた。諸先輩に感謝々々。
 門真市役所では他の職員が全てコドモに見えたね。組関係業者との関係をコマーシャル・ベースに乗せるシナリオを書き、実行に移せたわいな。業界紙時代の諸先輩のシゴキに感謝々々。

 毎日新聞論説委員をレッドパージされた大親分のU氏は、たまに論説を執筆するために会社に来ていたが、俺は弟子の末席を自称していた。晩年、公立短大の学長会の会長の肩書きでの御活躍だった記憶がある。もとより故人だ。
 戦時中、囚人移動車の無い時代だったので、省線に乗せられ堺刑務所へ移った時は、深編み笠をかぶせられたとか、ムショの中での防寒には新聞紙をシャツの下に入れていた、「大野君、もしブタ箱に入れられたらそうし給え」。やっぱり大親分でしたね。もう60年以上も前の話だ。
 書いたモノについては実に厳しい目でしたね。後年、大親分が北陸・T大経済学部長だった頃、学内の助手クラスから、教員人事での学内出身者の優先登用の要求をはねつけて「研究者は業績が第一、ロクに論文も書かない奴はダメよ」と厳しいのだ。俺はその朝日の記事を見て、「昔と同じや」と思ったね。全く変わっていないのだ。U大親分の言いつけを忠実に守れ無かった俺は未だに粗雑なものしか書けないでいる。
 さてさて、ハイティーンだったはずの俺が、いつの間にか82歳とは、一体どうなってんねん。とうとう俺独りになってしもたがな。寂しいよ、早くお遍路に出たいよ。
  

◎米国の対欧州観 「助っ人という認識 (平成25、11、24)

 
第二次世界大戦の戦後処理の枠組みは、根底の枠組みでは今だに生き続けている。また、米軍がヨーロッパ戦線で大きな役割を果たしたのも事実だ。しかし、米国は「助っ人」の立場であった。米国が戦後のヨーロッパで完全に支配権を握ったわけではない。フランスも英国も米国に従属した半独立国の地位ではなかった。

◎米国の対アジア観 「俺の縄張りという認識 (平成25、11、24)

 
太平洋戦争、と言う名称にもある通り、太平洋での日本の縄張りを実力で奪い取った。アジアの支配者は米国だ。従ってアジアでの共産主義者との縄張り争いでは正面衝突し、朝鮮半島でもベトナムでも米国青年の血を流した。
 
 沖縄は米国青年が血を流して奪い取った土地だ。米軍基地が多いのは当たり前だ。基地が多く核兵器があっても「構わない」と、佐藤が言うから沖縄を日本に返還したのだ、つべこべ文句言うな(米国大統領)。
 

  ◎空母は時代遅れ  (平成29、9、17、補正)
 沿岸を制覇しても意味がなくなる時代を迎えつつある。

 これからの時代は内陸の時代だ。
シーパワーの時代からランドパワーに移行しつつある。
 艦船は接岸航法を免れない。空母も潜水艦も、江戸時代の帆船と何ら変わるところがない。港が不可欠なのだ。沿岸支配が重要なのだ。これが時代遅れになりつつある。

 次世代ではステップ・ロードやシルク・ロードの復活が連想される。古代文明は内陸地帯で発達していた。近代は沿岸地域が発達し、海軍や港湾が重視されてきた。
 しかし、沿岸の先進地域を軍艦で支配する昔の手法は、時代遅れになった。 空母・機動部隊は沿岸が先進地帯であった時代のみに有効で、現代はロケット時代である。

 米軍はドローンやロボット兵士を開発し、後進国を支配しようとしている。中東地域でのズルズル泥沼戦争での脅迫観念に拘束されている。プラグマチズム的発想では正解を求める行為不可能だ。やがて予算の無駄遣いを痛感する。

 艦載機で内陸奥深く空爆支配するような軍事的手法は今や不可能だ。
 遥か遠方の先進国が、艦載機で大陸沿岸部の先進地帯を押え込む「空爆手法」は、大昔の手法だ。ベトナム戦争でさえ限界を露呈した。中東の紛争地域でも地上軍を欠く空爆は単独ではキメ手になっていない。
 空軍や海軍よりも
ロケット。この点では赤い王様のロケット軍優先集中開発の選択は正しい。
 海兵隊の奇襲も沿岸地域や島嶼攻撃では有効でも、内陸奥深い地域での持久戦では論外だろう。
 沖縄の米軍基地も
沿岸制覇タイプで、前世紀の遺物になりつつある。
 中国の一帯一路は今は絵に描いた餅だ。しかし、長期・文明史的展望では正解だ。
 
ミャンマーの首都移転強行論も正解であった。中国も首都を北京からもっと内陸へ移すべきだろう。
  群島国家インドネシアも首都を移転するという。

◎内陸の時代へ

 日本でも、古代史から昭和40年代迄、水運の比率が多かった。俺が教育委員会の庶務係長時代、達磨ストーブ用の石炭を大量購入した際に、ポンポン蒸気船で大阪港に運びこまれたいきさつを思い起こす。各学校に石炭置場があった時代だ。内航海運の比率は陸運よりも極めて高かった。弟・正弥の妻の兄が海運局に勤めており、史料を貰い教えを受けた記憶が残る。内航海運の重要性は、江戸時代と同じだった。帆船と蒸気船との違いだけであった。

 その後、高速道路網の発達と、自治体での道路の舗装化が進み、降雨でもレインシューズが不用となり、ズボン裾のドロ撥ねも無くなった。楠葉ローズタウンの初期住民には泥まみれの記憶が残る。
(蛇 足)
 高度成長期に市道等の鋪装に追われ、やりくりした自治体職員の苦労を、宅配業者共は知らないだろう。宅配というビジネスモデルは、自治体職員の汗のおかげで成立したのやで、市役所に金を寄付しろよ。

 高速自動車道や自治体道路の発達で、貨物輸送の様相は激変した。やがて宅配網が流通をも激変させた。今後は港湾の地位、沿岸部の地位低下が急速に進む。

 内陸の時代を迎え優位な国は内陸の大国、ロシア・中國・印度だ。米国も南北アメリカ大陸では優位にある。
 大昔は内陸の奥深い所に都市が発達した。やがてイギリスの海賊が遠方地域の沿岸部を支配する手法を発達させた。この沿岸支配の時代は近年迄有効であった。しかし、今後は
舩・港・空母は有効性を激減させるだろう。

 
◎石油の権利は入会権に相同

 サウジ王家が産出石油の全権利を持ってはいない。貧しいベドウイン達にも
共同所有権がある。日本の「入り会い権」に似ている。
 入会は「イリアイ」と読んで下さい。法律用語です。サウジでは税金の負担がない、というより、逆に、国民に税金を支払っているかのような国家運営をしているのがその証拠でもある。このように世界中の国とは真逆の国はサウジだけだ。
 世界中の他の国は国民から税金を取るのに大変な苦労をしている。サウジでは王家が税金を配るのに四苦八苦している。


 湾岸の諸国は無理矢理に線引きされて出来た国家で、統治手法は二つ、①強権・独裁と②買収・バラマキ、の二種類しかない。部族が砂漠を移動生活していくうえで近代国家のような国境線は不用だったが、その地域に無理矢理西欧流儀を押しつけたら、独裁か買収しか統治手法が無かったのだ。
 
しかし、買収方式はサウジ一国で他は独裁方式である。そのサウジは金に行き詰まった。石油の地位と価格低下が時代の潮流となった。金の切れ目が縁の切れ目、統治手法破綻で王家は亡命も視野にある。
 米国のバカ共は独裁者カダフィ等を打倒し、地域を液状化させた。
買収もそれ自体は有効な秩序そのものであったが、米国は秩序の根底を抹消した。実に信じ難い愚行である。


 ◎中国問題入門  (平成26、1、19

1、党左派の失敗を修正する為、鄧小平はレーニンのネップ的な発想で、右に大きく舵を取った。
2、その結果、党と国家に腐敗が蔓延。党の理念と社会の発展が逆比例。整風運動が必要となる。
3、江沢民は整風運動を開始(日本では反日運動と曲解)若手党員を再教育し中央委員会で左派の多数派を形成
4、左派のトップ習近平は、胡錦涛ら右派の粛清を本格化させつつあり、整風運動は最終段階へ。
5、対米外交ではネップ的発想で対米和睦(新型大国関係)を申し出て、オバマが戸惑う。
6、米国を頂点のアジア新秩序は未完成。習近平は党と国家の再建へ少し時間的余裕が出来た。
7、毛沢東が始めた農民戰爭課題の達成は未了。この
完結像がうまく描けないので苦しい。

8、共産党ブランドの純血性は、党第一世代の息子達が継承していた。党派性に欠ける秀才の出世主義・拝金主  義者の成り上がり者(共青出身に多い)を粛清し党の純潔性を回復しつつあるのが現況だ。

9、中國の強みは
床下経済にある。中國での統計の数値はチャランポランだと評判が悪い。しかし、これは中國の長所でもある。映画「七人の侍」のラストで、極貧だったはずの農民が床下から食料を持ち出してきて、お祝いシーンとなる。あれだ。

 
前例がある。ソ連が崩壊した直後、ロシア国民の多くが餓死するかのような報道の洪水があった。でも、そうならなかった、という前例だ。江戸時代の領主権力や現代の独裁権力のもとでは、被支配者は必ず、内緒の蓄えに心がける(ロシア国民の別荘での家庭菜園等)。そうしないと本当に餓死してしまうからだ。なので中國公式のチャランポラン統計はそのままでは使えない。なので中國経済は潰れそうに見えて潰れないのだ。

10、習近平の咳払いで直ちに高級飲食店で閑古鳥が鳴いたという。これが中国の強みだ。習近平の再度の咳払いで中国は直ちに活性化する可能性もあるのだ。独裁権力の特徴だよ。昔の記憶だが、ヴォズネセンスキー著『大祖国戦争期におけるソ同盟の戦時経済』を曲解し更に曲解したらそうなる。尚、ゴスプラン議長ヴォズネセンスキーは死神スターリンにより惜しくも粛清されている。


◎ヨルダン(令和2年3月2日) 1年前の執筆だが再掲。異母弟監禁報道はサウジ内紛と関連。

 サウジの次に奇妙奇天烈な国家・ヨルダンともいえるが、アラビア半島とその周辺地域の勢力バランス上では不可欠な存在だ。血筋がピカイチでマホメットの血筋を引く王様だが、本貫地を追い出されている。。
 サウジ王家の天敵だ。元は紅海沿岸のヒジャーズ地方(二大聖地メッカ、メディナを含む)を支配したが、宗主国・英国にお国替え・異動されてトランス・ヨルダン移されたので座り心地が悪い。根こぎされ移植された新領土で土壌を肥やす為、耕地を耕すかのようにパレスティナ人に国籍を大量交付し、王権をガードした。シリアやイラクの親類筋・王家は打倒されても、ヨルダンでは今も健在だ。土壌改良的な国籍大量散布は正解だった。しかし、不自然国家なので、強力な秘密警察でサウジのサルマン皇太子の陰謀に耐え、人信離反に怯えている。宗主国・英国により、お国替えされ縄張り外に移された後遺症に、今も苦しんでいる。
 サウジが石油の金をバラまいて王様の人気を維持しているのに対し、石油が出ないヨルダンはパレスチナ人に国籍を大量に散布し人気を維持している。アラブの王様で人気失墜し追放された前例は多い。

 砂漠の王様稼業とは人気稼業でもある。英国や日本の皇室の権威・尊敬とは比較不可能だ。サウジの王族が亡命の予行演習に真剣なのは正解である。ヨルダン国籍のパレスチナ人は王様をガードしている。仲間のカタールと共にサウジの敵方だが、サウジよりも王権は堅い。
 サウジの税金バラ撒き政策と、ヨルダンの国籍バラ撒き政策とは、外見は違っていても機能的には同じ作用だから、「相同」といえる。

 

 
◎台湾が重荷の利点
 
 重荷ながらも台湾解放課題を目標を掲げている最大の利点は、中国全体の求心力を高めていることだ。国家の統一にプラス作用が大きい。但し、この課題は実行に移せないので、ある種の建前論ともいえる。
 出来の悪い評論家連中が「中国の分裂・崩壊」を主題に多くの著書を出版し、予想を外し恥をさらしている。中国の求心力の源泉・根拠について敢えて眼を瞑っているのが滑稽である。「台湾解放」と言う課題は、実現性よりも課題を抱え込んでいる事自体に重要な意味・効用があるのだ。このような哲学徒の評価手法は、説明すると却ってややこしくなるので止めておく。
 新疆ウイグルもそうだが、ある種の「ワクチン効果」ともいえよう。

 台湾解放課題は実行不可能な課題ではあるが、「課題を看板に掲げているだけ」であっても、その利点が大きくて捨て難い。しかし、敢えて捨てることの利点もまた、更に大きい。現在の局面では、この課題(建前論)を捨てることの利点の方が大きいので、この際、方針を大転換せよと言うのが、老遍路からの忠告である。

◎オバマへ秀吉と家康からの忠告

 二番目に強い奴を臣従させなさい。敵ではあったが、そ奴だけが新秩序の体制保証人になれる。和睦だけでは不十分です。
 対立抗争する二者の関係では、「和睦」は抗争の一時的中断であり、強者による支配に弱さが残る。他方、「臣従」では支配者側が上位に位置し、下位者への縛りが強い。しかし、この関係は同一線上にあり、中間の二者関係もある。また、その度合いにも、かなりの距離が存在する。両者の弱い支配関係が「和睦」で強い縛りの関係が「臣従」と言える。しかし、臣従関係の最大の長所は強弱両者の「共存関係」の実現にある。
 残念ながら米国には弱者を打倒・抹消する発想しか無い。

秀吉 「面子より政治。天下の安定には最大の敵と共存するのがコツ」。「母や妹まで犠牲にしたよ」。
家康 「島津と毛利の扱いが適切だったから徳川の幕府が成立したのだよ」。「島津の領国を寸土も削らない決断をしたが、この決断は苦しみ考え抜いた末の決断だよ。感情的には腹が立つやら、忌々しいやら、ああゲンクソが悪い」。「しかし、そうしなければ徳川幕府は成立しなかったよ」

 
薩摩に祖国防衛戦争を強要すれば長期戦になる。徳川軍の兵站が日本の最南端迄伸びきって、弱り切ったタイミングに横腹を豊臣系の大名に襲われるからだ。
 「大名を改易する際も、1万石程度の堪忍分を残し与えたものだ。敵の全滅・壊滅・完全消去ではなかったよ」「単細胞の西洋・キリシタン衆には理解困難でしょうな」「敵を壊滅させる発想は、下の下です。政治家失格です」「秀吉は母を人質に差し出し、妹を俺の後妻に寄越した。」「俺は秀吉から政治というものを教えてもらった。」「関ヶ原以降の政治判断は秀吉先生に導かれたのだ」


南木曽町の蛇抜け (平成26、7、10

 
長野県南木曽町では土石流を「蛇抜け」という。「蛇抜け」があり、「蛇抜け」もある。次のような碑文もあり、少女の彫刻が印象に残っている。歴史は繰り返すという。ここ数日、酷いニュースに心が痛む。

     白い雨
が降るとぬける
       蛇ぬけの水は黒い
          蛇抜けの水はきな臭い  (抜すい)














 
澤桃介の関連史跡巡りで読書発電所の奥深くへ階段を降りて回転部分を見学した事を思い出す。あの時の参加者の多くは故人になった。門真市市史編纂室主催の古文書学習会のメンバーだ。
 後に、桃介記念館には私が執筆した「福澤桃介と古川橋変電所」の収載誌「まんだ24号25号(北河内地域文化誌)」が展示されていると聞いたので、死ぬ迄にはもう一度訪ねたいものだ。風情あふるる桃介橋は今では通行禁止になったとか。でも、もう一度渡りたい。


◎被災者には現金支給を (平成27、1、10)

 復旧とか復興という錦の御旗には異論を挟み難い。でも現在投入されている国費は、ほぼ100%無駄使いとなるだろう。正解を言えば、国費はハードな物へ投入するのではなく、人、被災者個人に投入するのが最も有効な使い方である。コンクリートから人へというスローガンは極めて適切だ。
 生活保護の場合は直接公的な現金給付がある。被災者に直接公的な現金給付があってもおかしくない。逃亡資金で具合が悪ければ「脱出資金」と呼べ。殊に、原発の被害者には「脱出資金」が適切だ。
 元の村や町に戻せという要求に異論を唱えると袋叩きに会う。でも、正解は「捨てる、逃げる」という選択肢にこそあるのだ。特に被災した過疎地の場合、「捨てる、逃げる」こそが正解なのだ。
 被災・過疎地の場合、自治体首長は復興を夢見る。役場職員の採用権や公共工事の執行権の確保に執念を燃やしているからだ
住民がいなくなれば役場も無くなってしまう。村長さんとしては絶対反対だろう。
 でも、地域社会に及ぼす激甚災害を冷静に客観視するべきだ。脱出希望の住民を無理に引き止めるのが正しい政策だろうか。村長さんの引き止め権には限界がある。神戸のような大都会でも巨費を投入し復興させたはずの商店街に閑古鳥が鳴いているという。
 凡そ、被災なる概念は人を前提にしている。人がいなければ被災はありえない。どのような災害であれ、そこに人がいなければ災害にはならない。災害は人を大前提にしている。そこに人がいなければ無理矢理新しい町づくりをしなくて済む。
 現実には少数の住民がふるさとにこだわるだろう。それは何人も否定してはならない。しかし、近所に人がいなくなるのを阻止する権利までは無い。道路や橋や堤防への資金投入も、人への間接的な資金投入だろう。そこに人がいなくなれば道路は必要でなくなる。
 地域からの手切れ金・脱出金はかなり巨額でも差し支えない。コンクリートへの巨額投入金よりはるかに安上がりのはずだ。

  ◎大気圧での実験はダメ  (平成25、6、1)

 ボーイング787のバッテリーのテストで、大気圧より低い気圧の許でしっかりテストしたかどうか?、飛行中のバッテリーは外部の環境変化が著しい。多分、長時間の低気圧の条件下で過充電させたに決まっているよ。
 平地でのお湯の沸騰点は百度だが、高いお山でお湯を沸かしたら低い温度でもお湯が沸いたやろ。俺みたいなド素人でも察しがつくよ。航空会社のバッテリー設計・
発注ミスとなれば航空会社を倒産に追い込みアメリカの国益に巨大な傷を与えるので、誤魔化した疑いが濃厚だよ。
 米国航空会社の倒産は一私企業の倒産騒ぎではない。米国の国益を防衛したのだろう。もとより、日本のバッテリー製造会社も大助かり。多分先方の発注書の規格通りに作ったのだ。先方様の発注ミスやな。
 とにかく、発火の原因は、「
過充電であった」と認めよ。


 
平成25年7月18日付け、朝日新聞大坂本社、13版9面)
 
 GSユアサ依田社長のインタビュー記事は真実をほぼ白状したに等しい内容で、私の上記の見解が正しかったことを裏付けている。
 

◎阪神球団に提言

 タイガースが優勝する為の抜本改革案、前期軍と後期軍への二分割制を提言する。1軍、2軍制度のような上下分割ではなく、平行分割、同等二分割なのだ。
(チームの二分割)
  選手起用での通年主義の廃止。→そして概ね、前期軍と後期軍に二分割する。
 主力選手をも含め前期4~6月だけで燃え尽きてよいグループと、7~8月だけに全力を出し燃え尽きるグループとに二分割する。主力選手を前期と後期とに二分割する、という発想には抵抗感が大きいだろう。しかし、通年で使っても成績が良いのは半期だけだから同じことですよ。また、二軍という発想を否定する事の利点に多くの人々は気付いていないね。通年での個人成績を主張する選手はそれにふさわしい数字が伴う場合にのみ限定。
(敗 因)
 主力選手の疲労。金本も後半はバテバテ、ヘロヘロだから打てなかった。同じ選手を通年で使うのはやめろ。シーズン末期にはアップアップしてただけやろ。
(俺の所感)
 悔しい、腹が立つ、巨人が憎い。俺が阪神球団のCEOなら上記提言を実行する。
①JFKのように同じ選手を長くこき使って潰してしまうとはバカの至り。常識もヘチマもあるか、選手の通年の成績などクソ喰らえ。
②二軍選手を程度の低い未熟な集団と見なしてはならない。阪神の全選手を二分割して超短期で燃え尽きてよいグループにすると、多くの若い才能がチャンスに恵まれて才能を開花させること必定。
③投手の分業制(先発→押さえ)と同じような発想です。


  
◎援助物資のピンハネ (平成20,6,14)

 援助物資のピンハネは軍事政権・統制経済の途上国に固有の現象である。これは非難すべきものだが、到底改善は望めない。援助国としてはこのピンハネを苦々しく思いながらも「援助とはこういうものだ」と割り切らざるを得ない。
 モニターが完璧に可能な被援助国なるものは、そもそも存在し得ない。元々そのような国家なら外国の援助など必要としない。怪しげなデタラメ国家だからこそ外国の援助が必要なのだ。ミャンマーや北朝鮮での援助物資の配布実態の報道に接して、我が思いは複雑である。
 
 省みれば、我が日本国でも軍事政権の支配下で
統制経済に国民が苦しめられていた頃(先の大戦中)は全く同じピンハネ大流行の時代でもあった。
 昭和20年、島根県簸川郡久木村原鹿xx寺(西本願寺派)に学童疎開していた私(大阪市立西船場国民学校3年生)は、栄養失調で死にかかった経験がある。後に歴史研究者の端くれとなってから、自分の学童疎開時代の実態調査を開始し、数々の事実を知った。しかし、残念ながら調査に協力して頂いた当時の関係者(加害者でもある)に調査結果を「活字にして公表しない」と約束した関係上、あいまいな表現にならざるを得ないが、当時のピンハネ実態に言及したい。
 県→郡役所→村役場→お寺へと配給物資・食料が流下して来る過程で、ピンハネして役得に預かった人々で判明したのは「村役場の関係者・引率の先生・お寺さん・賄いのおばさん」達である。
 学童疎開といえども私の親は所定の負担金を支払っていたと聞いたが、その多寡は評価不能である。また、配給物資・食料の代価における公費と私費の負担割合についても不明であるが、元々少なかったであろう配給食料が疎開児童に届いた時には、痩せ細って微々たるものであった。疎開学童達のあばら骨はくっきり浮き出ており、下腹を腫らして突き出していた。後世、博物館の絵巻物で見た「餓鬼」そのものであった。
 取材した老婆の
「おかげで助かりましたわ」と言う証言を苦笑いしながら聞いたが、これは許せた。しかし、先生が居た部屋(庫裏の方)から匂って来た「すき焼のにおい」を思い出すと興奮して来る。絶対に許せん、その先公のド頭を金槌でドツキたい気持ちは今でも変わらない。その先公は数年前まで生きて居ったが、今ではどうであろうか。
 (蛇足)
 しかし、こんな二重人格の先公野郎が戦後の日教祖運動の担い手でもあった。

◎米国人の住宅観 
(平成20、4、24)

 住宅こそが地位や人格のシンボルだ。どのような家に住んでいるかで
自己確認し、他者に主張し、存在証明している。
 また、主婦とはそのマイホームをピカピカに磨き上げて他者に見せびらかせる役割が最大の仕事なのです。日本の主婦のように台所を汚くして「台所を他人に見られたくない」と思っているような手抜き家事をコツと心得ているような主婦とは正反対の主婦像でもある。
 このような米国人の住宅観を理解していないでサブプライム問題が判ったつもりでいるエコノミストが意外に多いようですな。
 

☆庶民の憲法観 (平成19,5,1付『くずは通信、第20号』)
                    花園町4-12-304 大野 正義 (上記機関紙からの引用です)
 現憲法は堅持すべきだというのは私の立場ですが、その理由は日本が米国の属国に等しい地位なので、九条を改正しても日本の利益にならないからです。米国や米軍の為に私達の税金をつぎ込んで欲しくないからです。憲法の改正は日米安保を卒業してからの将来課題であって、現在の緊急課題ではありません。
 改めて読み返して見ると今の憲法は崇高な理念に導かれた立派すぎる憲法ですが、残念ながら国政の実態とかけ離れ、ないがしろにされています。憲法のレベルは高いが、国民もそれにふさわしいレベルなのか疑問に感じます。多分わが国における民主主義の度合いに見合っていないのでしょう。占領軍に押し付けられた家法だという批判はそこにつけ込んでいますね。
 とにかく憲法が現実の姿と大きくかけ離れていてももう慣れっこです。しかし、権力者のやりたい放題に対するスベリ止め効果だけは期待できます。憲法はその程度に軽いというのが私の憲法観です。
 また極端に言えば、憲法を消去しても国家そのものは消去されません。日本の歴史は今の憲法よりずっと以前から継続し日々変化しています。憲法はその途中で登場したものですから、いわば試行錯誤の産物であるのは免れません。だから欠点が多いのも当然だと思っています。
 さて、私が憲法を支持する本音中の本音は徴兵制を完全に閉ざしている点にあります。 庶民にとって有難いのは、庶民の夫役負担(税負担)を否定しているからです。庶民の本音は「重税反対論」です。租税回避文化の伝統が庶民の中で如何に根強いか、改憲勢力がもっとも苦労しているところです。日ごろは政治に無関心な庶民といえども、この部分にだけは手を突っ込んで欲しくないのです。
                                    
(暮らしと憲法を考えるくずはの会、事務局発行)
             この意見、今でも変わりありませんが、熱心な共産党の人々には不評でした。

◎国民年金委員の証明力  (平成19、7、24)  
 

 私が門真市役所へ入る以前から各自治体毎にあった「国民年金委員」の制度は、地方分権推進一括法の施行で返上したものの年金記録空白問題との絡みでマスコミに登場しないのが不思議だね。領収書が無くても年金委員さんの証言で納付の証明にはならんのかね?
 昭和47年7月1日から48年末迄1年6ヶ月間、私は保険課の課長代理で、年金係をも所管していたが、その頃の国民年金委員さんは市民から国民年金の集金もしていたよ。
 その頃の門真市役所では、市民が保険課年金係窓口に来庁→3枚複写の納付書を発行→市役所内の銀行窓口に市民が払い込み→納付書を年金係に提出→年金係員が国民年金用の
印紙を「国民年金手帳」に貼り付けて検認のスタンプを押印。というフローでした。もとより、市役所に個人毎の台帳があったので入金分の消し込みは実行しているが、毎月1回は社会保険側の台帳と突合し、照合確認をしていた。(納付書の1枚は社会保険にも届けられているからね)。
 後年、昭和58年1月10日から昭和61年3月末まで、市民部長として所管事項に国民年金業務も含まれました。その際も、毎年1回、国民年金委員の研修会(貸切バス)があって、その都度、所管の部長としてお供していましたよ。

◎非定住者の選挙権  (平成19、7、14)  

日本国民でさえあれば、たとえ日本各地を漂泊しながら生活していても、非定住を理由に選挙権までを奪うのは不当である。特に住民基本台帳法のような下位法が上位法の憲法による国民の権利(選挙権行使)を制約している逆転現象は是非とも是正しなければならない。

大阪の愛りん地区における住民登録の取り消し処分問題は、非定住者の取り扱いを従来型の定住者を取り扱う行政手法で対処しているから問題が発生した。しかし、非定住者に対処する行政手法が無いわけではない。結論を先に言えば、在外選挙人名簿に準じて「非定住者選挙人名簿」を調製すれば済むことだ。生活の本拠を定住主義的に限定解釈している現行制度の許でも、在外日本人の選挙権を認めた理屈と手法をそのまま適用すればよいではないか。

 その方法だが、非定住者は本籍地で「本籍地証明(仮称)」、いうなれば国内用パスポートともいうべき性格の文書を受給し、それを居所(仮称)の自治体に示して「非定住者選挙人名簿」に登録すればよい。このような行政事務を可能にする制度基盤はすでに存在している。それは「戸籍の附票(住基法16条)」制度の拡張利用であり、二重登録防止機能は完璧である。

現在、戸籍の附票は戸籍を単位に本籍地で事務処理されている。職権で身分関係の登録である戸籍と住民票とをリンクさせており、「住所及び住所を定めた日」などを記載しているが、職権で事務処理しているせいであろうか、人々にはその存在さえ余り知られていない。その目的は、住民票の正確性を担保するとか、戸籍の記載や訂正も可能などと称しているが、説得力がまるで無く、それだけの目的なら元々は全く無くても差し支えないような制度であった。

ところが平成15年の公選法の改正で、在外選挙人名簿に登録された者について、その旨及び登録された市町村名を戸籍の附票に記載しなければならなくなって、初めて実用的なお役目、即ち二重登録の防止という実用性を持つようになった。であれば、この手法はそのまま非定住者の選挙人名簿の登録事務に使えるではないか。

 特に国政選挙の面ではホームレスも在外選挙人も置かれている立場は全く同一条件である。おかれている立場のどこに違いがあるというのか。ようするに、戸籍の附票をバージョンアップさせればそのままホームレスの選挙権を簡単に保証できる。

 元来、戸籍の附票は徴兵制度維持が目的であり、それに不可欠な制度であった。昔は成年に達した国民はどこに住んでいようとも本籍地に帰って兵隊検査を受けねばならなかった。戦後の利用価値は私立探偵社の人探し調査に有用であった程度だ。しかし、国家による国民補足としては完璧な制度であり、それを職権で生き長らえさせて来たのは、徴兵制の復活が真の狙いだったのか、と疑いたくもなる。
 
しかし、今では流動的で多様な居住実態の発生に対応するには、戸籍の附票は有効な道具になりうる。また、本籍地制度の実務的利用が進めば、過疎地の救済手段としても極めて有効である。

◎現代版「往来手形」の発給を  (平成19、5、25)  

地頭の苛斂誅求から逃げ出した「逃散」は江戸時代の話にとどまりません。今、ワーキングプアとか日雇い派遣、ネットカフエ難民等々が話題になっているが、これぞ現代版の苛斂誅求に外なりません。その一部では既に溶解・溶出しつつあり漂流が始まっているのです。その結果、平成の世においても逃散の先行現象を見受けるようになりました。いわば平成の六十六部巡礼者が続出・大流行する兆しが四国遍路の中に発生しています。
私は門真市役所を定年退職後、かねてから念願であった日本漫遊・徒歩漂泊の余生を過ごしている。奥の細道、熊野古道、西国33観音巡礼、聖人長崎への道、伊勢参宮等々だが、中でも四国遍路には順打ち
7回、逆打ち3回と入れ込んでいる。ところが、近年この逆打ち遍路で出会う3040歳代と思しきお遍路さんの中に特徴的な現象があり考え込まされている。というのは、菅笠、白衣、お杖、輪袈裟(その他細々)、という標準スタイルの内、3点は無く1点だけという姿のお遍路さんが激増しつつあるのです。しかも彼らは概ねお接待期待型のお遍路さんで、大きなリュックに野宿用品を詰め込み善根宿を求め歩いている。だが、彼らは遍路としての自覚が薄く、善根宿を単なる無料宿泊所とみなすようなところがあり、善根宿設営者の意欲を喪失させ、善根宿を疲弊させている。
 これら若い(中年初期)人々は、今は四国を歩いているが、いずれ全国に散らばり、日本の各地を歩き始めるのではないかという予感が致します。とにかく四国は全国漂流の予行演習にふさわしい地域です。やがてホームレスというよりは「ノンホーム・非定住国民」が続出するのではないでしょうか。しかし、農耕社会の価値観が支配する日本では非定住民は差別され勝ちなのが問題である。長く残存した瀬戸内海での家船・漂泊漁民や、昔の逃散民の流れを汲むサンカを連想してしまう。
 

 今、大阪の愛りん地区における住民登録の取り消し処分問題は、実はこの非定住者の取り扱いを従来型の定住者を取り扱う行政手法で対処しているせいで、ズレや無理が発生しているとも言えるのです。しかし、非定住者に対処する新しい行政手法が無いわけではありません。結論を先に言えば、民法第22条の住所の規定は、生活の本拠を定住主義的に限定しているわけでは無いと拡大解釈してはどうか、という提案です。 
 日本国民でさえあれば例え日本各地を漂泊しながら施しを受けて生活していても、回遊生活している事実そのものの否定は不可能だから、定住生活では無いとは指摘してもよいが、それ以上に「生活の本拠無し」とまで踏み込んでは事実誤認になる。流動的な生活の本拠や、圏域が広域に及ぶ生活の本拠があっても原理的には否定出来ないはずである。 
 さて、地方自治法第10条では「区域内に住所を有する者」を「住民とする」と定住主義のみで狭く概念規定しているが、この条項を拡大・再構築してはどうか。例えば上記規定に続けて、「区域内に居所を有する者」を「準住民とし」という具合に拡張規定してはどうか。但し、このような手法では本籍地の役割が極めて重要となり、実務的役割が増大する。  
 行政給付面では、準住民は本籍地で「本籍地証明」いわば現代版の「往来手形」を貰い、居所で国政選挙権の行使や生活保護及び義務教育を受給するというような方式になる。また、登記や訴訟などの法律行為も可能にする。
 本籍地では国民健康保険の資格を取得し納税義務を負う。特に、選挙・生保・教育は従前から住民登録による制約を受けていなかった分野である。住民基本台帳法のような下位法が選挙権行使のような上位法による国民の権利を制約している逆転現象を是正するだけで、行政秩序は混乱しない。
 
 負担と給付の連動は広域主義と相互主義の両面でバランスを考えれば良い。準住民は本籍地で納税するので、「居所(きょしょ)」の都会では市民税が入らないのに義務教育費等の支出を強いるわけだが、その人数分だけ基準財政需要額に加算すればよい。収入額の多い東京都など不交付団体の場合は現在より不利になるが我慢して当然であろう。また、本籍地納税により本籍地自治体の基準財政収入額が増加しても、その分は国からの交付額が減らされる仕組みだから問題は無い。
 このような行政事務を可能にする制度基盤はすでに存在している。それは「戸籍の附票(住基法16条)」制度である。これの拡張利用に着眼したい。現在、戸籍の附票は戸籍を単位に本籍地で事務処理されている。職権で身分関係の登録である戸籍と住民票とをリンクさせており、「住所及び住所を定めた日」などを記載しているが、職権で事務処理しているせいであろうか、人々にはその存在さえ余り知られていない。その目的は、住民票の正確性を担保するとか、戸籍の記載や訂正も可能などと称しているが、説得力がまるで無く、それだけの目的なら元々は全く無くても差し支えないような制度であった。 
 ところが平成15年の公選法の改正で、在外選挙人名簿に登録された者について、その旨及び登録された市町村名を戸籍の附票に記載しなければならなくなって、初めて実用的なお役目、即ち二重登録の防止という実用性を持つようになった。実はこの着眼こそが非定住者の権利を確保する上でも極めて有効な視点なのである。準住民への行政給付が二重になるのを防ぐ事も可能になるからである。 
 特に国政選挙の面ではホームレスも在外選挙人も全く同一条件だから、戸籍の附票をバージョンアップさせればホームレスの選挙権は簡単に保証可能である。そして更に、この方式を他の給付事務にまで拡張して二重給付を防げばよい、というのがこの提案の概略である。

 
あいりん地区での住民登録の大量抹消問題の争いの原因は、住民基本台帳法が住所要件を定住主義だけで運用している点にこそ根本がある。だから定住主義そのものを問い直し、もう一段階高い視点から整理し直さねばならない。つまり、非定住者の漂泊実態をそのまま肯定する行政手法を模索しなければならない。非定住者・回遊生活者の日本国民としての諸権利は、国民としての身分を取得しただけで発生している。

 
☆『明治維新を考える』三谷博(著)への批判と大野の解答 (平成18、9、20)
 
 武士の「社会的自殺」について
        武士が秩禄処分を黙って受容したのは何故か?
(答)
 新政府は武士のクビを切らなくても良かったからだ。また、切ってはいない。
新政府が直接行為で武士から家禄等を取り上げたのではない。敢えて言うなら「間接行為で抹消した」としか言えない。新政府は武士の主君達の版籍を奪ったに過ぎない。これが正しい法解釈である。
 近世原理・封建原理では、大名達の「領分」は
人格概念で把握される。その大名、その人物の所有であって、藩というような法人格?の所有ではない。従って、武士に知行を宛がう上位者の存在が抹消された場合、自動的に下位者の存在根拠がが抹消される。言い換えれば維新で各藩の武士が同時一斉にその主君から浪人させられたのだ。
 この場合、主君達の版籍奉還は比較的にやり易かった。藩主達は県知事に処遇され完全失業していない。しかし、家臣達は浪々の身となり、完全失業した。
 もし、家臣達が苦情を言うとすれば、直接の相手は夫々の主君なのだ。家禄を与えてくれていた主君を飛び越えて新政府に苦情を言うのは、筋違いなのだ。「筋を立て間違えない事」、これぞ、近世秩序の基本中の基本である。武士たる者は心得違いしないものです。
      (蛇 足1)公家衆の「御家領」、旗本衆の「知行所」も同じ。
(蛇 足2)「筋を通す」というコトバ遣い、これは日本文化独特のものです。江戸時代には極めて重要な判断基準で、現代社会でも盛んに正しく使われていますよ。近世社会では、その人物が誰の支配を受けているか、ということなのです。「お頭(かしら)は誰か?」ということなんです。皆さん筋を間違えないでね。

◎B型肝炎と予防接種  (平成18、6、27)

   注射針の使い回し?

 血液感染が原因でのB型肝炎問題が報道されている。しかも原因行為では予防注射での「注射針の使い回し」事例が指摘されている。しかし、この報道には疑問や誤解が多い。この件では私自身も「予防注射集団接種」の最前線の係長として公務に従事していたのでその実例を紹介しておきたい。
 <昭和42年4月1日~43年3月31日迄の私の地位>→門真市衛生課予防係長。
「1針1投の厳守」(1針1投入)、この原則は不動・不可侵で絶対的なものでした。少なくとも門真市では昭和42年以前もそれ以降もこの原則は守られて来ました。
 その当時、部下の看護婦達は「これは独り門真市のみならず、近隣自治体も同様である」と、係長である私に強調していました。
 1針1投主義の厳守は大変苦労が大きいのです。多くのバットに注射針を入れて(もちろん煮沸器具等々も)事務職員と看護婦達がマイクロバスで予防接種会場に向かったものです。注射のポンプはかなり少なくて済みましたね。注射行為はその会場付近の医師会の先生方にご依頼して出向いて頂きました。医師の傍で針を次々取り替えて助手を務めるのは市職員の看護婦です。そして針の消毒は学校の保健室や地域公民館の台所・ガスコンロでした。だから、自治体として実施した集団予防接種での血液感染は皆無と確信している。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 さて、昭和42年夏の新聞を図書館で閲覧して下さい。蚊が原因の日本脳炎が大流行しています。この集団接種会場には超満員の住民が押し寄せて来ました。門真市ではそれに完全対応しましたが、ワクチンの入手では七転八倒の苦しみでした。一人
1ccの筋肉注射ですから品不足騒ぎで大変でした。
 一方、昭和42年頃も予防接種は開業医の先生方も診療所等で各々実施しておられました。しかし、ワクチン不足なのです。市役所にはワクチンの入手斡旋をせかせる先生方の電話がひっきりなしにかかってきました。予防係長の私は出入りの業者に圧力をかけたり、走り回ったり大変でした、とにかくひどい品不足なのです。そのせいでしょうかね、先生方の中にはごく少数ながら、
0.1ccを皮下注射する手法をとっておられた先生もおられました。この場合、1ccで10倍の人数が接種可能です。
・・・・・・・・・・
 さてさて、0.1ccを皮下注射するといってもポンプの中には1ccのワクチンが入ったままです。それで10人の希望者に接種する場合、一々注射針を交換するのは大変面倒な手間とは想像出来ますが、その注射の現場を私は確認していないのでこれについては証言出来ません。まさか針を綿花でさっと拭いただけでは無いでしょう。
・・・・・・・・・・・・・
(蛇 足)
 ワクチンは10人分20人分と言っても、実際にポンプに引く時には厳密には1.0ccというたてまえではあるが、実際には0.95cc?しか引いていない、というのも現場の実態でした。また、ワクチンのビンには何人分という表示であっても実際の分量では若干多く入っていました。だから予定のワクチン量以上に意外に多くの人々に接種出来たというのも現場の実態でした。
 やがては注射器も現在のように使い捨ての時代に変わりましたが、沢山の重い針を会場に持ち運びするのは重労働でした。その針もそうそう何回も煮沸できません。先が減ってくるのでブスリの際に痛くなって参りますからね。回転早く捨てていましたよ。
 さてさて、門真市衛生課にはもう一つ「防疫係」がありました。昭和42年の日本脳炎騒ぎでは「ダイアジノン」をドブ川と化した水路等に撒き散らしていましたね。私も手伝ったのでダイアジノンを随分吸ってしまいましたよ。
・・・・・・・・・・
(蛇足の蛇足)
 昨年冬、近所の診療所にインフルエンザの予防接種に行ったら、0.1ccの皮下注射でした。インフルの場合は、その昔は確か1.0ccで筋肉注射だったな、と50年前の記憶を辿ってしまいました。いつの間に皮下注射に変わったのかね。


◎租税回避文化としての憲法第9条  (平成15、9、23)

☆☆政令で「徴用」が復活☆☆

憲法第9条は平和主義の側面で評価されているが、私は日本の伝統文化「租税回避文化」の側面から評価している。
支配者への「力役奉仕」は律令制の税制の中にもあった。「租・庸・調」の中の「庸」で、「徭役」という強制労役である。被支配者・庶民は昔から「夫役」という税負担に苦しんで来た。戦国大名も戦争遂行の為、庶民を徴用し強制労働させたり、徴兵し従軍させたりしている。近世の助郷役(宿場の人馬継立の課役)は農村を著しく疲弊させたので、一揆さえ起こっている。このように明治以来の徴兵制度も立派な税負担であった。しかし、有り難い事に戦後はその税負担を全面否定してくれたのだ。
現行憲法の軍隊否定、徴兵制の根拠否定は、建前論での美辞麗句は色々あるが、庶民の租税回避要求にはぴったり応えている。庶民は平和主義者でなく租税回避主義者だから、事実上の軍隊・自衛隊には無関心で寛容だが、徴兵制につながる憲法改正には本音で反対という姿勢である。

 ところが、先般の国会で有事法制関連法が成立した。それに基づき自衛隊は有事の際に国民を「強制労働」させることが政令で可能となった。戦時中の「徴用」の復活である。最早、徴兵制の一歩手前迄辿り着いている。自衛隊法施行令の改正案の意味はそこにある。
いよいよ日本の伝統文化とも言える「租税回避文化」への本格的な侵食・挑戦が始まった。しかし、与野党の「新世代安保議員」達は、その若さ故に日本文化の根深い所に沈殿している伝統的価値観を軽く見過ぎている。理屈をこね回し論理を鋭く磨くような事は阿呆がすることじゃ。賢い奴は伝統文化の深層を充分理解する事から始めるんじゃがね。徴兵制実現の奥の手が一つだけあるが、自民党や自衛隊制服組のバカ者達には理解出来ないでしょう。
(蛇足)政令とは内閣の命令です。防衛庁が立案し、閣議決定するだけで有効なのです。つまり、政府が勝手に決めて良いのです。

◎オッペケペ節をパクるなよ (平成15、5、9)

 「ラップは新しい音楽」というのは大ウソじゃよ。DJの作り出すビートに合わせてリズミカルに早口な語りをのせていくラップの手法は、明治初期に川上音二郎のオッペケペ節をパクッたものじゃ。音二郎は俳優であり、自由民権運動家でもありました。民権運動を盛り込んだオッペケペ節をヒントに丸ごとタダ取りした「ラップ」なる新音楽は、「パクリでした」と白状せんかい。知的所有権は時効でも道義に反するで。

◎地域間対立の伝統

 日本には地域間対立と抗争の歴史が豊富です。江戸時代の庄屋さんは適当な時期に程々な地域間抗争を起こし、それを収拾する任務がありました。村の結束強化とアイデンティティ確認の為、必要なものでした。水喧嘩がその典型例です。大阪府門真市における最後の水喧嘩は、大正11年7月(7日付、大阪毎日新聞)のことでした。7月豪雨に伴う過剰水排除をめぐる、上流と下流との地域間対立です。上流からの過大な排水に下流側が対抗措置をとったのです。両者の間には、守口分署の巡査全員が出動し、枚方署の応援も得て徹夜警戒し、流血騒ぎ寸前に止めています。
 私が小学校の高学年から中一の頃迄は、隣りの集落を通るのさえ恐かった。殴られたり、追い払われたりしたものです。昭和24年頃迄そうでした。逆に、隣りの地域から来た子供を追い払った経験もあります。ガキ大将の攻撃命令には私も従いましたよ。

黒澤明は天才山上伊太郎の基本特許をパクリした

  平凡な黒澤明が、才能があるように誤解され、世界的にも高く評価されたのは、彼が山上伊太郎という天才の作風を真似て、うまく後継者に収まったにもかかわらず、そのことに口をつぐんだからです。生前の黒沢は「私が今日あるのは、山上伊太郎の基本特許に導かれてのことです」と白状しておくべきでした。

 私がこの真実を知ったのは元毎日新聞記者の木村國喜のエッセイからでした。昭和十年に毎日新聞に入社した彼は、若い頃に山上に可愛がられていたので山上のことを最も良く知る人物です。木村が山上の事を書くに至った直接のきっかけは、竹中労の著書『日本映画縦断~山上伊太郎の世界』があまりにひどい内容だった(木村いわく)ので、木村が大阪で編集発行(1973年~1986年迄)していた『社会動態』50号~56号(大阪府府立中島図書館蔵)に数回に亘り執筆していたのを読んだのです。大阪府下各市役所の秘書課に届いていた雑誌です。
  「マキノ雅弘の悪意とウソをを含む証言をもとに某ルポライターがチョウチン記事をものにした(木村)」ので、木村は腹に据えかねたという論旨です。この木村國喜という人物は、世間の人々にほとんど知られていないでしょう。しかし、彼の書いたものを読めば彼が一流であることは良く理解出来ます。彼の同僚では、後に作家となった井上靖や、経済学者の内田穣吉(私の師匠)がいる。
 
[蛇足]
 黒澤明程ではないが、司馬遼太郎なども、坂口安吾から学んだことを白状しておくべきだった。安吾の基本特許を利用し、商品化に成功したことを。
 と言うのは、安吾の短編集『安吾史譚』(角川文庫)の中味をアレンジして長編化すれば、司馬遼の作風とほとんど同じになってしまうからだ。
丹下健三もノバート・ウイーナーの基本特許に依存している。やはり日本人には独創的天才が少なく、製品化に強い連中が多いようだ。

◎地震では自動販売機が危険

 今なお新聞紙上では地震の時の注意事項がしばしば掲載されています。しかし、道を歩いていて地震に遭遇した時、ブロック塀よりも、自動販売機の方がはるかに危険だと言う事については、どうでしょうか。ほとんど見かけませんね。
 頭が重く、足許が軽いのが自動販売機の特徴で、揺れに弱くひっくり返り易いのです。神戸の大震災でも無数の自動販売機が倒れていました。現役最後の時期、震災後の神戸を何日もうろつき回り、千枚以上の写真を撮影しましたが、何故か印象強く想い出されます。
 今なお新聞紙上では地震の時の注意事項がしばしば掲載されています。しかし、道を歩いていて地震に遭遇した時、ブロック塀よりも、自動販売機の方がはるかに危険だと言う事については、どうでしょうか。ほとんど見かけませんね。


◎EEZを否定する米国   (令和元年10月13日)

 カナダは「北極諸島はカナダの国内水路だと主張」。これに対し米国は「国際航行の海域で、カナダの法律は適用不可」と譲らず、昭和60年、カナダへ事前通告無しに北極諸島に砕氷船を送り込み、両国は激しく対立したままである。

 国連海洋法条約(UNCLOS)を
批准しない米国は、排他的経済水域(EEZ)を宣言していない。
 米国が世界の法基準だ、多国間協議で合意した国際基準は認められない。というのが米国の国家原理である。多国間協議の一員では、同一レベルの並び大名になってしまう。違うぞ、米国はランクが上の将軍家だ、アメリカ幕府なのだ、という認識。それを
モンロー主義という。今のトランプは「アメリカ・フアースト」と叫ぶ。

 米国とカナダの紛争以外では
①カナダ対デンマーク(ハンス島領有権)
②米・露(ロシア議会が米ソ海上境界線協定を批准せず)
③英国対アイスランド(漁業権争い、タラ紛争)
 日本国政府は北朝鮮に対し、EEZの侵害を主張している。
 日本対中国の尖閣諸島の領有権紛争は、海洋紛争とは無関係らしいですね