XII、奇説・異説 大野 正義 (平成26、4、5a)
◎前方後円墳の真実
(平成2年、仏教大学博物館学芸員の単位履修レポートからの抜粋です。)
古墳論です。
考古学においては墓制の変遷に限らず、全ての面で「漸進的変化の法則」とでも言うべき公理を大前提に理論構築されることが多い。例えば先行形態から中間形態、そして移行形態と言う順序で推論する事例が多く、俗耳に馴染み易い。しかし、これには大いに疑問がある。
古墳が先行の墓制に直接の系譜を辿れなくても何ら不思議ではない。外来思想・道教の文化を輸入したものだからだ。但し、輸入文化は単純なコピーでなく、独特な日本流儀に変形・加工するという「日本流」が古墳造形のコンセプトの中にも濃縮されている。
前方後円墳は庭園史の最初の頁を飾るべきものです。「前方後円墳は四神相応の蔵風得水型地形をミニチュア復原した」というのが私の見解です。
山懐に抱かれた母性的自然は幼児安息の世界であり、休息感漂う桃源郷でもある。外形が母の子宮に相似しているのは偶然ではない。
前方後円墳というミニチュア国家には家屋も人民も埴輪で再現されている。前方後円墳こそ代償風景の典型例である。
魏の建国者・曹操が五斗米道の宗教王国(陜西の南部)を215年に攻撃し、大量の亡命者を出している。卑弥呼の「鬼道」は五斗米道と呼ばれた道教の一種で、日本に漂着した彼等亡命者が持ち込んだものだ。この道教文化が前方後円墳の設計思想の基本になっている。