XI、国家精神分裂症、外
                                    大野 正義
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◎系統発生欠如は非法治主義になる (令和5、3、6)

 系統発生・蓄積不足の米国は、世界の指導者たる資格に欠ける。
     
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 ヨーロッパの法治主義は「
国際刑事裁判所」を実現させましたが、米国は同意していません。
 2019年2月、インフルエンザの大流行地(渡航先の危険情報は外務省のホーム・ページ)米国で検査をやり直したら大量の新型コロナだった事実が判明。つまり、コロナの発生源が米国であったわけ。これを隠蔽する為、WHOからも脱退する身勝手行動を平気で実行し、発生源を中国になすりつける悪どい行為に走ります。日本国立伝染病研究所の新聞発表によれば、日本でのコロナの型は
非中国型でした。
 
 米国のように簡便性や即効性を至上価値とするプラグマチックな症状はある種の
国家・精神病に罹患し易い。原因は「系統発生過程の不足」にあり「歴史の不足」と言い替えても良いでしょう。国家システムが「国家・精神分裂症」に罹患するのです。

 ヨーロッパ先進国のように長い系統発生過程の蓄積のある重厚な(のろまに見える)国家では、
個体発生過程において系統発生過程が大急ぎで十分に繰り返され濃厚蓄積されます。生まれた赤ちゃんが系統発生過程の財産を貰っているのと同様です。その時々の局面での「対外政策」はいわば「個体発生」ですが、独仏の場合は長い歴史の蓄積が良い影響(安定感?)を与えています。
しかし、米国の個体発生(対外政策)では国家の成長過程で欠けていたり不足しているものが多過ぎて、雑で粗暴な問題行動を引き起こすのです。低年齢の少年が異常・悪質な犯罪を犯す現象とアナロジーがあります。少年犯罪の場合、原因は家庭環境や成長過程に問題あり、というケースが多いのですが、米国外交政策でもそれが当てはまるのです。


◎人間天皇の模範例  (平成31、4、26)

 私は天皇の大ファンだ。                                  
 象徴天皇
の形は漠然としている。保守派の論客たちは、天皇の聖性を引きずっている。天皇の神秘性は「人間宣言・神格否定」以来徐々に変化したのを軽視している。彼らは聖性の減少変化を認めるのを断固拒否している。
  しかし、今の天皇は人間天皇の
模範を確立した。80歳を超えての激務に耐えつつも人間天皇の模範事例を実行しつつある。「これが天皇です」「皇室はこうあるべきです」というお声が聞こえてくる。
 日本の保守主義者からは「何もしないで奥深くじっとしておればよい」「わざわざしんどいことをするなら摂政にまかせて」「天皇はもっと神格化されるべきだ」という声が聞こえてくる。保守主義者は天皇を内閣の奴隷にする魂胆が真意らしいね。
 保守派の最大の杞憂は「将来、天皇制廃止を言い出す天皇が出て来ないとも限らない」ということであろう。確かにそのような可能性は、無きにしも非ずだ。保守派は「皇位継承者から、即位辞退が続出して、天皇制が揺らいでしまう」という心配をしているのだ。
 前宮内庁長官・風岡典之氏は安倍政権の懲罰人事で退任させられた。退位問題で天皇の肩を持ち過ぎたのがその理由だ。山本新長官は政権に忠実らしいが、天皇を困らせるようなことは控えるべし。


 
敗戦、臣従、本領安堵

 @対米
臣従  & A本領
安堵
            ※日本の伝統的な
敗戦処理形式をそっくり踏襲している。
  (1)日本が持っていた中国大陸や朝鮮半島等の旧植民地とその権益は全て米国に
献上致します。
  (2)本領安堵とは、天皇制護持・間接支配。
     & 北海道、本州、四国、九州の四島に限定(沖縄は米国のもの)。

☆中国ロシア見解
 朝鮮半島は昔から中・露の縄張りだから、米国は手を出すな。


 
◎覇権は権力秩序  (平成16、7、19)
 
 世界的な規模で「覇権」なるものが成立するとはどういうことか、現在の世界状況の中で米国は「覇権」を確立したと言い得るのか、米国の「覇権らしきもの」には何が欠けているのか、ここに答えを出そう。
 結論を先に言えば「
二番目に強い奴が一番強い奴を承認し、臣従する」のが覇権成立の絶対条件なのです。覇権なるものは非征服勢力が征服勢力を認識し承認してこそ確立するものなのです。非征服勢力が征服勢力を認識するには、二番目に強い奴が一番強い奴を承認し、臣従する姿を見せつけられて、始めて認識が可能になるのです。でなければ認識が不可能なのです。覇権とは相対概念なのです。

 覇権とは「新秩序」です。秩序の承認を求める行動・過程が覇権の成立過程なのです。豊臣秀吉が天下人になって行く過程にはそれがよく出ています。家康を臣従させる為に、自分の母親を人質にし相手の許に送るような苦渋の選択をしましたが、これは秀吉の軍事力が不十分で弱かったから次善の策を採用したかのように誤解してはなりません。確かに小牧長久手の合戦ではイチビリ・未熟の秀次が敗北しましたが、「家康を軍事力で征服出来ないので皇室を利用した外交攻勢に作戦を変えた」というような解説は間違っています。
 両者の軍事動員力には大差がありました、両者が雌雄を決する合戦をすれば、最終的には秀吉の勝利です。しかし、覇権の確立には安定こそが条件なのです。変化・動きが継続していては覇権は確立したと認識出来ません。
 ジンギスカンの征服活動・帝国拡大の過程を見ても同様の事が言えます。「ジンギスカン的多様性枠組み秩序」の承認拡大運動でしたね。

 家康の覇権もその条件を満たしています。関が原合戦の後に島津を軍事的に攻撃しなかった事には深い理由があります。確かに、日本列島の最南端を主戦場にし、祖国防衛戦争に死を覚悟した最強の薩摩軍を相手に死闘し、軍事的消耗を繰り返せば、補給線の確保が困難になるのみか、家康軍が後方から豊臣系外様の大軍に叛乱・挟撃され、
戦国時代が長期化するのは予測されます。しかし、それだけで島津攻撃をあきらめた、と短絡・近視眼的に理解しては誤りです。それ以上の深い判断、「二番目に強い奴の覇権承認・臣従こそが大切」という教訓を秀吉から学んでいたからです。もともと覇権とは相対概念です、島津や伊達という外様大藩の存在こそが徳川の覇権に不可欠だったからです。

 米国のブッシュは保安官気取りでフセインを捕まえ、イラクに傀儡政権を作り、欧州を除外してイラクの石油を独占支配したつもりでいます。二番目や三番目に強い奴を軽視(「古い欧州」と)しましたが、「覇権とは何ぞや」ということを深く理解しない浅はかさにはあきれ返ります。また、ブッシュのスタッフ達にも責任があります、政治を知らない「ど素人」だからです。
 
 日本史の「戦国時代」という名称には誤解を招いている面がある。特に信長・秀吉・家康の時代は「
外交の時代」でもあった。三人はいずれも外交の達人であった。ブッシュは日本史を勉強せなあかんで。
 

◎国際法のあり方 (平成15、11、24)

 国際法の異変を心配している。もとよりこれは国際関係の異変に原因がある。
 国際法とは自国も他国も共にその一員として諸国間の関係のありようを創り出し、また必要に応じて改良・変更し、自他共に受益するものです。
 しかし、このような国際秩序の形成過程では、どうしても強大国の意志・価値観・国益が大きい影響を及ぼします。「国際法とは強大国の利益にのみ奉仕するもの」と言う批判もあります。従って強大国の支配力を如何に抑制するかが最大の課題なはずです。

 にも拘わらず、強大国の力を所与の前提にし、その政策や価値観の押し付けに唯々諾々と従うだけでは、国際関係は病み・歪む一方です。ですから、国際秩序の形成環境としては「多極秩序」こそ望ましいのです。力が分散し、複数の強者が分立しているのが最も望ましいのです。
 何事によらず「
突出強者の単一支配」一極秩序では不都合・支障が多いのです。だからアメリカの突出、一極支配は否定さるべきです。この大原則こそ判断の基本なのです。
 
 しかし外務省の大先輩某は「超大国・米国の単独支配は覇権・押し付けに非ず、
有益な指導力である」。「覇権」と「指導力」とは異なる、と言葉を弄んでいます。
 つまり弱小国は自主的判断で進んで米国の「良き指導」を受け入れた場合、それは覇権ではない、グローバル化とは一極支配の秩序でなければならない、そのような国際公共秩序の安定こそ望ましい、と言う見解です。バカバカしい程単純な
強国肯定主義ですね。彼は多極化は退歩である、超大国の一極主義(非覇権・良き指導力)こそ進歩である、と断言するのです。これは高尚な理論ではありません、唯々「長いものには巻かれろ」と言う、単純低俗なボケ老人の理屈です。

 一方、多様性には活力があります、多様性こそ進歩の母です、多様性と民主主義は不可分一体です。これはその昔の米国の価値観でしたが、今や捨てられてしまいました。グローバル化の時代に主権国家の枠組を超え、人権・人道にまで国際法が及ぶ現代にこそ、多極支配が望ましいのです。

 
一極支配は危険思想です。これぞ断固否定さるべきです。「中庸とか和」バランス感覚の価値観を至上とする日本文化では、昔から「過ぎたるは及ばざるが如し」とも言いました。
 他国の人権問題に発言し介入する事の弊害を考えると、諸悪の根源
米国の突出を叩き凹ます事が諸国民の緊急課題です。