VII、キリスト教不振の理由   大野 正義 (平成16、2、7 増補)
                           INDEXへ戻る

 まず、日本人論、日本文化論です。キリスト教的な神を受け入れない日本文化の特徴を掘り下げ、更に、宣教会へも提言します。次に、過去を十分に総括・反省していないのではないか、と言う問題提起があります。イエズス会への批判です。
 日本26聖人の殉教は、イエズス会の誤った布教方針が招いたものである。極論すれば、彼等はイエズス会によって殺されたに等しい。

(序)信仰基盤

 日本での布教上、信仰基盤を検討することが大切です。まず、生月島での土俗信仰を考えてみましょう。
 司祭のいない状況の中で、しかもキリスト教が禁教とされた時代の中であっても、辺境の閉鎖的な村落コミュニティにおいては、「先祖崇拝の固い因習の枠組み」の中では、土俗信仰として信徒達の信仰が続く条件・環境がありました。「生月」のような地域では先祖崇拝は絶対・至上の価値があります。先祖崇拝とは、「チーン南無阿弥陀仏」と拝む行為をイメージしてはなりません。「先祖伝来のこの田圃、簡単に手放すものか」と、公共事業の用地買収で建設省とケンカしている姿が「先祖崇拝」の実態なのです。
 自分が生きて行くには
親の生業を継承する以外に選択肢はありません。また親の言いつけを守り、その漁業や農業を継承するには村落コミュニティのルールに従わねばなりません。自分の子供にも同じような躾をし連綿と継続せなばなりません。そのコミュニティからハミ出せば生きて行けません。「死」あるのみです。この点を理解しないで、キリスト教の教義の正しさや霊性からのみ、生月の土俗信仰を理解してはとんでもない間違いです。
簡単に故郷を捨てて生月島以外の地域で就業出来れば、このような信仰コミュニティは永続しません。強固な縛り、因習が存在したからこそ永続したのです。
日本の農耕文化の中で「先祖崇拝」がきわめて重要なのは多くの人が指摘していますが、生月島での信仰がカトリック性を失い、土俗信仰として継承したのは「先祖崇拝」文化と固く結合したからです。
 今や職業選択の自由度、居住地選択の自由度が飛躍的に大きくなった時代となりました。因習の縛りが無くなった今日においては、各地のカトリック教会の老齢化の進行と先細りが不可避なのは、あまりにも日本的な信仰基盤(農耕文化)の上に日本のカトリックが成り立っている証拠です。特に長崎地域がその典型例です。
日本の教会の指導者達はこのような「信仰基盤」を徹底的に掘り下げたり、日本文化と日本人とは何か、についての検討を怠っています。
 「敵を知る」という言葉は不適当ですが、日本の司祭養成教育の課程で、日本文化とか仏教についてはどの程度教えているのでしょうか。日本の司祭達は、たとえば四国遍路文化一つを取ってもどの程度理解しているのでしょうか。日本での布教には日本文化の徹底理解こそが、必須の条件ではないでしょうか。

(1)他律人間

 欧米先進国の場合は「公共観念」が発達しており、国家というものも皆で共同して作り支えている。主体性を確立した個人、自律人間が基本単位として国家を形成しているから、主権在民も本物で税金も「出す文化」である。この場合、自律人間はキリスト教的な神を必要とする。
 これに対し日本の場合は主体性の無い他律人間を基盤にしており、公共の観念が未発達で「お上観念」に覆われ支配されている。国家は自分達で作り支えているものでなく、絶対的強者が支配する国家である。国民は建前上は「選挙民」であっても「国家意思」の形成過程から疎外されている。国家意思の形成は支配者が独占している。その支配権力は「政・官・業」の複合体であろ。権力者達は公共の看板を掲げててはいるものの、利益誘導により税金を貪っている。
 このような被支配者・他律人間にはキリスト教的な神を必要としない。「お上文化」の根底には天皇制文化があるので、日本はでキリスト教は永遠に不振である。

(2)宣教会に提言

◎遠隔地出張から居座りモデル主義へ

 キリスト教が日本で不振な原因を、今ではカトリックの宣教会等もほぼ気付いており、日本での宣教意欲をやや失いつつあります。人材や財政の投入効果を考慮すれば、フィールドを他のアジア諸国、特に中国大陸に着眼するのは当然の成り行きです。しかし、長い歴史を誇る伝統社会の中国でも大成功は望めないでしょう。アジアの大国・中国の中華思想は根深く堅牢で巨大な壁です。
 さて、カトリック宣教会の成功例を見てみましょう。数百年前の中南米や、近代のアフリカ大陸での成功例では先進地域と後進地域との文明落差に依存しています。文明落差に依存しなかったのは現代韓国での成功例程度です。現代のように地球的規模で情報化が進んだ時代では、現地深入り主義よりもモデルの優越性誇示主義が有効です。
 結論を先に言えば「ヨーロッパでのキリスト教文化の再建」こそが緊急課題だと思います。ヨーロッパでのキリスト教文化がもっと輝き魅力を増してこそ、他の圏域が羨望の目を向けるのです。ヨーロッパでのキリスト教文化の衰弱にこそ、グローバルなキリスト教不振の根本的原因を求めるべきです。世界的課題解決の糸口はヨーロッパにこそ求めるべきです。
 私が宣教会の幹部ならば、人材も資金もヨーロッパでの再建に充当します。個人の場合の例ですが、欠点を矯正する為に多大な努力をしても成果は小さいのです。しかし、逆に長所の方を伸ばす努力をすれば、成果は大きなものとなります。投入する努力量と成果量との関係を考えると、重点を置くフィールドは西ヨーロッパなのです。

◎ユートピア思想の再建

 共産主義運動の退廃と崩壊があってからは、ユートピア思想の人気はガタ落ちです。確かにユートピア思想は非現実的な夢想の如くです。しかし、少しでもそれに近いものを願う希望を捨てては成りません。私はその役割を西欧のカトリック教会に期待したいのです。遠く日本にやって来て活動している司祭達の自己犠牲の姿には感動します。妻帯し子孫の繁栄を願う日本の坊さんには無い良さがあります。
 確かに今の西欧キリスト教文明にはオリエント世界や非キリスト教文化圏からの批判も多く、いずれも的を射ています。唯一絶対の基準・真理や正解を過剰追求することへの批判は的を得ていたが、一方、批判者達は果てしなく相対化してみたものの、疑問が膨張しただけで「疑問解消」とはならなかった。この私も40歳台の半ばには神を求め信じるようになりました。
 とにかく、世界に良き文明モデルを示せるのは西欧キリスト教文化圏以外に見当たりません。途上国・中国も系統発生不足の米国も、お上権力の日本も資格なしです。資格があるのは特に独・仏です。手探りと試行錯誤の態度が真面目です。未完成・不十分でも、EU統合努力は高く評価出来ます。人類の叡智の最高の成果になって欲しいものです。
 米国の覇権形成に異議を唱えた独・仏は世界にキリスト教文明のモデルを示す使命があります。今は未だモデルとしての輝きは不十分です。しかし、未来への希望をかろうじて繋いでいます。だからこのひどい世界に絶望しないで居れるのです。
 西欧文明の再建こそがカトリック教会にとっても緊急課題、最優先と言えば必ず、非西欧圏域から苦情が出ます。しかし、いくら金や人を入れても絶望的に効果が期待出来ない所に何時までも拘ってはいけません。また、巨大な中国のマーケットに着眼するには、足許の西欧がふらつき過ぎです。
 西欧で因習的に信者が多いだけでは、文明のモデルとして世界に情報発信出来ません。文化に輝きがありません。パリやローマの犯罪率の高さにあきれ返る日本人観光客の素朴な感想を聞いていると、中国での布教どころではないはずです。

(3)殉教は誰の責任か

 もし、日本に最初にやって来た宣教会が、イエズス会でなく、フランシスコ会だったら、殉教のような悲劇は起こらなかったかも知れない。歴史を語るに「もしも」と言うような発言がナンセンスなのは良く承知しているが、ついついこのような愚痴が出て来る。
 まず、殉教については初期のキリシタン時代の殉教と、江戸時代に入ってからの後期の殉教とを分けて考えるべきである。大雑把に言えば、前期の責任はパワー・ゲームに介入したイエズス会にあり、後期の責任は信教の自由を許さなかった徳川幕府にある。後期の殉教の評価基準で前期の殉教を評価してはならない。

 とにかく、キリスト教の教義は正しい→それを弾圧した権力者は悪い、という短絡思考がこの問題の根底にある。私の見解は、教義が正しくても布教行動・態度・方針を誤り、終に殉教を招いた、従って初期・キリシタン時代の殉教の加害責任の比率はイエズス会側に全面的にある。
 イエズス会には日本布教における初期の行動の正誤について、全く思考が欠けている。反省が無いと言うよりも、その問題意識が無い。イエズス会による最初のボタンの掛け違いと、その副作用は、日本におけるキリスト教普及史にとことん付きまとっていないか。

まず、戦国武将等・支配者層への布教に重点を置いたのが最大の誤りであった。トップ・ダウン方式、「信者獲得の一網打尽方式」への反省が無い。この結果日本国内の権力抗争のパワーゲームに介入し→天下人の天下統一を阻害し→統一阻害要因の外国勢力として排除され→殉教を招いたのである。
抗争の渦中にある戦国大名等に貿易の利益誘導をすれば、パワー・バランスを変化させるのは当然の結果であり、唯の干渉勢力(抵抗勢力)になり下がる。

 中世から近世に脱皮するべく「天下を統一」を目指す勢力に対し、日本の宗教勢力(特に仏教勢力)の抵抗は強烈、すざましいものであった。あろうことか、イエズス会もそれと同列の存在になってしまい、「抵抗勢力視」され、弾圧されたのである。但し、犠牲者の数字面ではキリスト教勢力が一番少なかった。一向宗や比叡山、高野聖等々の犠牲者数に比べると極めて少数であった。
 今日でも暴力団の抗争で、一方に加担すれば他方から攻撃されるのは当然である。それで泣き言を言うのは認められない。最初の禁教令が九州征伐の直後に秀吉から発せられた事実は特に重要である。イエズス会は明らかに天下統一の障害物となっている。
 しかし、江戸時代に入り徳川の支配が安定した後は、イエズス会によるパワー・ゲームへの介入という状況は消滅しているので、キリスト教徒への弾圧は信教の自由を否定した側面が大きい。従って、加害責任を幕府に求めてもよい。但し、このケースでも、後遺症を残したイエズス会の責任がゼロとは言い切れない。

 もし、フランシスコ会が最初に日本に布教に来て、庶民層に重点を置き「医療や教育」面で熱心であったら、そして、天下統一のパワー・ゲームに影響を及ぼさなかったら、日本におけるキリスト教布教史は大いに違っていたであろう、というのが私の愚痴です。
 しかし、弾圧が激しくなってからのイエズス会は権力者に対し随分低姿勢であった。それとは対照的にランシスコ会は使命感が高過ぎて高姿勢であった。そのことを以って「激しい弾圧を招いた責任はフランシスコ会の方が大きい」と言う研究者もいるが、もっと根底に目を向けるべきだと言うのが私の見解です。

(蛇足)
 殉教とはイエズスの死と同じであるのが条件ですね。日本の仏教徒のように抵抗して殺されたらキリスト教の「殉教」とは同じになりませんね。しかし「弾圧の犠牲死」と言う共通点はありますよ。

☆類似の事件☆

 戦後、昭和20年代前期に日本共産党は極左冒険主義に走り、党の方針に忠実であった多くの有能な人材を失っている。この歴史の悲劇性は敵権力の弾圧よりも、むしろ党の路線の誤りにこそ真の原因があった。この犠牲と26聖人の犠牲はかなり似ている。

◎脱皮の系譜◎

昭和30年7月、日本共産党の「六全協」での路線転換
昭和31年2月、ソ連共産党の「20回大会」とスターリン批判
昭和37年〜40年、第二バチカン公会議・・・(今尚、改革途上)
第二バチカン公会議がソ連共産党20回大会の影響を受けているように思えてならないのは、歴史ボケした私の脳ミソが腐っているせいでしょう。世界の変化に最も鈍く・遅く反応しているのがカトリック教会のように思えてならない。